サラサラと白いカーテンが舞う…、それはあたたかな陽射しに透けてやわらかな色でふわりと寂しい窓辺を慰めた。 この部屋におもしろいほどに色がないのだ。
しろく、しろく…、清潔で。そして無機質な色の机があって。
きちんと整頓された机上で広げられたノートが風にあおられパラリとページが進んだ。
コロリと転がるボールペン。ガラス棚の中に整列した薬品たち。常時使われる部屋の隅に寄せられた器具の鉄色。鼻の奥にツンと消毒液がしみるがこれはこれで落ち着く。不思議だ。不思議で。午後の光が天井にちらちら舞っているのが安らぐ。ああ、影かもしれないのかカーテンの。
綱吉はゆらゆらと泳いだ視線をふっと目の前の男の顔へと移した。ついっとあがった口許にはいつもの優しさはなくて紅色の冷えた艶がじわりと浮かんでいる。それはまるで甘い果実のような。冷たく甘い匂いの…。綱吉は困惑に眉を顰めながら自分の両肩を押さえて覆いかぶさる背の高い影をじっと見据えた。彼の白い頬は逆光のせいで青白く陰り、横に流れる髪色が更に黒く濡れた色で輝きを放っていた。…綺麗だ。はたはたとカーテンが鳴った。午後の風。さらりと流れた彼の白衣からも消毒液が香る。いつもきっちりと上まで閉められた白いシャツのボタンは胸元まで外されネクタイはとうに乱暴に乱されていた。すらりと覗くなまなましい白い肌とくっきりとした鎖骨。何か匂うような…。しなやかなラインの首筋とうっすらと息をする胸。やわらかそうな肌だと思った。
「…綱吉くん」
低音。華やかなで清らかな。喉仏が動く。ゴクリと飲んだ音が。左肩が軽くなった。
ゆるゆると、冷えた指先が頼りない線でえがかれた綱吉の頬へと触れてくる。 青年の優美な指が、爪先がそっと頬のラインをすべっていき…。そして顎先へ。親指でくいっと持ちあげる。途端ぞわっと左側の頬が粟立った。
「……あ、の、」
左耳を食まれた。
すっと寄せられる顔が、宝石のように輝く双眸をふわりと細まり華やかに微笑む。目尻に滲む薄紅。濃く縁取る睫毛がゆっくりと伏せられて白い肌にぽつりと影が落ちた。
青年はすまなそうに微笑んだのだ。
「いいでしょう?君はいつだって僕の味方じゃあないですか…」
はくっとまた耳を食まれて綱吉はヒッと悲鳴をあげた。ビリビリとくる!
「だ、だ、だからって!!なんで浮気の相手に俺をえらぶんだよ!!」
「だって、その顔じゃないと勃たたないんですよ」
「だ!?…そ!!そ、そこでしゃべんないでぇ〜〜!!」
「ああ、耳弱いんですねえ…あの人みたいに」
「や、め、…ろ、よっ!!やめてください!!!息子を父親の代わりにすんなぁあ〜〜〜!!!」
途端。
はくはくと嬲っていた唇がピタリと止まる。ふぅっと剣呑な冷気が頬の産毛に触れた…。あ、やべ。みたいな顔で綱吉はギギギ、と油のきれた機械みたいにぎこちなく恐々とできるだけ彼から距離をとっていく。右肩がギチリとつかまっているが、出来るだけ。痛みに軋む肩のせいでちょっとしかだがでも。
「…ふっ、ふっ、ふふふ…、」
こわい。こわいこわいこわいこわい…!!ガクガクと彼がわらう。
ホラーだ。あの、くる、くる…みたいな。
「う、う、ううう産んだのは僕じゃあないんですよ!!!???」
「わ、わわわわかってるよおおーーーーーー!!!!!」
うわあああん!!と泣き叫ぶようにドロドロと暗雲を背後のどっちゃり背負った男のカッとした一喝に綱吉は涙目で必死にわあわあと弁解した。怖ッ!彼の目が般若のように完璧に据わり、ぱらりと落ちた髪の一筋が彼の唇におちた。まさしく怨念的な…アレ。目が荒みきって凄みきって猛然と沸き起こる猛烈な怒りとかにわなわなと震えて唇がすうっと色をなくしていて…。怖い。ギラギラとした瞬殺な雰囲気で憎憎しげにわきわきと両手を動かしていてしまいにはシュコーと口から蒸気か毒ガスか炎でも吐き出しそうだ…。最早その怒気が真っ暗い怨念のように彼を中心に轟々と視覚的にも渦巻く。心象のなせる技はスバラシイ!あのさっきまで真っ白で清潔だった保健室を瞬く間にドロリした地獄の様相へと変貌させてしまっていた。おっそろしいね!くりっとそこから顔を背けて冷や汗滲んだ笑顔で綱吉はウィンクした。なんとなく。
「……わ、わかってるよ?うん…、母さんじゃないって…、でも、父さんが…ほら、子供には一対のって…」
「僕がつっこんでる方なのになんで僕が母親なんですかああーーー!!!確かに君のオムツもミルクもなんもかんも僕がやってやってましたけどね!!!あのひとは風呂さえ入れさせたことないんですからね!!?なんべんでも教えて差し上げましたから知ってますでしょうが!!!」
「は、はいいいいもっともでありますーーーーー!!!!」
ついにはガクガクガク!!と揺さぶられ初めて綱吉は声を振り絞って答えた!!そうであります隊長!!みたいなノリだもう。ノーはない。返事は大きくイエス!のみ。イエス、マム!!…あ。
「……あ、あのさ?ちゃんと俺、から、も…、その、浮気しちゃ駄目っていうから…」
ね?と甘えた声でさとす。目をまっすぐそれていたが。
無理だ。
ふたりともそれが不可能なことくらいわかっているのだ。ズンと沈む空気。
「………う、…う、…うわき、して…」
ぷしゅっと空気がもれてしまったみたいに…。よろよろと垂れた頭が、コテン、と綱吉の肩口になついた。ぎゅうと握られたこぶしをぽんぽんと撫でて綱吉の瞳に浮かぶのは途方もない疲れだ。ちいさな口から、はふっと溜息がもれた。
「だからって俺とかなんて間違ってます」
浮気もだが。
そして相手として選ぶ基準が同じ顔って。そりゃそっくりなのは当たり前だよ息子なんですから。あなたの息子でもありますというのはあえていわない。それじゃあ犯罪の香りが増す。
と。
突如、子猫のようにみいみいと大人しかった男がガバッと顔を持ち上げて、カッと目を見開いた。目尻に涙。…泣いてたか、やはり。
「だって!!仕方ないでしょう!!?僕はせまったことないんですよ!!!」
バンと胸も叩いて吠えるように堂々宣言だ。えばれることか!綱吉の背中にぞぞぞぞと戦慄が走る…!ああもう!!
「知ってるからもう大声でいわないでえええーーーー!!!ここ、学校だから!!!!」
ぎゃああああーー!!と内心で綱吉は大声で泣きながらついには年甲斐もなくぴーぴー泣き出した『母親』の口をバシンと塞いだ。泣きたいのはこっちだ。鼻水までたらすないくつだ!!
(あの人はね!!こういう反応が欲しくってやってるんですよ!!!!)
ぜってえー見てる…。ほくそ笑みながら(もしくはぷるぷる悶えながら)どっかで見てるだろう父親の姿を脳裏に思い描きドバッと特大の溜息を吐いた。
あの男は愛情いっぱい注ぐ★という表現をいまいち間違えている。








【 保険医と生徒 】