あなただけは絶対にすきになんかならない…。
未 来 予 想 図
夕闇が間近に迫っていた。するりと首筋滑る風の冷たさに心の何処かがぞわりとしたが其れは神経の高揚ゆえなのだと思う。 熱した鉄の上に水がぽたっと落ちてきたような、そんな感じかもしれないのだろう。 …ああ、泣きたいのか怒りたいのか哄笑したいのかも 解らない胸の内はただただ熱くて熱くてどろどろ煮えたぎってしまって全てがふにゃりとゆるやかに弱く、 怠惰のようにか弱く、脆弱過ぎて如何したらいいのだろうと思ってしまう。 如何もしなくても良いだろうと思うけれども、彼らの命の決定権がこの手のひらの中にあるようで、そうして彼らは弄ばれたいような目で 見上げてきて(そんなのは幻覚だ。こんなのまやかしだ。誰がそんなことを望むというのだろう。) 微笑んで(いいや違う違う。否だ。此れはただの怯えた視線なのだ。)あなたののぞみをと囁いて(誰もそんなことなど 言ってなどいない……ッ!!) 十代目。 「ヒバリも酷いことするものですね…」 「……………うん」 ガリ、と硝子の破片を踏みしめた音に肩がゆれなくて良かった。ツナは心底自分の体の反応の鈍さを感謝した。そうだ、 彼が居たのだ。自分一人じゃなく彼が傍に背後にそっとそっと近くに近付いてきらりと目を光らせているのだ。 愚考。それを留めて凛としていなければならなかった…。ツナはぎゅっと目を閉じ、獄寺の踏む足音に合わせて 徐々にその双眸を覆う瞼の力をゆっくりと抜いていき、そうっと其の双眸を強く見開いた。隣に立った彼は神妙な顔で 前を見ていた。夥しい量の血糊を。瑞々しい果物のように斬られ積み上げられたヒトの形を…。 ……ああ、アナタの笑みが聞こえる。 ツナはそっと罅割れた床に転がった細い腕を取りあげ、持ち物だと思う女性の上にそっと置いた。十代目。 僅かに躊躇い咎めるような声音が困ったように耳に届いた。 手についてしまった血を彼は即座に強く丁寧に拭い去る。冷たい腕は冷たいモノのようで、それから彼の手に触ってしまったら 其の違いはよく染み渡った。ああ、生きることはこういうことなのに。 「幾ら貴方の暗殺を企んだからって惨いですよ此れは」 一体誰が自分の為に生きてはいけないと言うのだろう……。 「忠誠を誓って貰っただけだよ?二度と君を裏切らないように死んで貰っただけだ」 何言ってんの君と、まるで自分の唱える常識こそが世界の当たり前だといわんばかりで彼が子供のようにわらう。 綱吉は相変わらず変な子だねぇ…と、ツナを抱き寄せその頭を撫でてあやしながらうっとりと微笑む。 君は大事な大事なひとなんだから。子守唄のように。頬に額に瞼の上に羽のような口吻けを降らして最後に 唇に恭しく其れを重ねる。やさしいやさしい、何処までも夢見る狂気の瞳。 「……だから、あんな風に?」 「あ。見てきたのかい?どうだい上手く出来ただろう?」 「あれは残酷です」 「そう、悪魔の所業とでもいうの?でも、あれは間違いなく僕という人間がしたものなんだよ」 「酷いですよ」 「でもね綱吉。非道いことをしようとしたのはあちらなんだよ?」 「でも、だからって……!!」 つなよし。唇だけで囁いた言葉に喉奥がヒッと悲鳴をあげた。…そうだ、このひとは。 トクリと胸が緩やかに波打って驚く程に全てが水の中の出来事のようにゆうるりと廻る。 ああ、このひとはヒトの言葉を解してはくれないのだ。このひとの眼は黒い筈なのに紅く濡れそぼるように見える刹那。 其れを垣間見なければといつも思う……。 「綱吉。僕を否定しないでよ…」 つ、と。冷たい指先が首筋を撫でる。頚動脈を確かめるような爪先。きっと食い込ませたいのだろう、その眼は確かに 舌なめずりをしていたから。けれども決してそんなことは為さないのだと言わんばかりに爪先が離れ変わりに柔らかく 唇で食まれた。引き摺りだされたシャツの下に伸びる掌。するりと背中に廻り肩甲骨を辿ってうなじへと延びた。 「君がすきなんだ。君が死んでしまうなんて耐えられないんだ。だって君はドン・ボンゴレなんだから」 此れが当たり前だよ。注意深く言い聞かせるように懸命に唱えた。ドン・ボンゴレという部分だけは。 確かに此れほどに統率され且つ巨大な組織も滅多にお目にかかるものでは無い。 獄寺の述べる言葉の誇らしさはすでに誇張ではないのかもしれないとツナは頭の片隅では頷いていた。確かに、そうだろうと。 けれども。 其れは違うのだと心は強く反発する。其れは自分の夢が叶ったところではない。 だから、だからだからとけれども言葉はいつも項垂れていく。吐き出したい言葉は枯れ落ち積み重なり この足元で蹲ってはせっせと墓標を築き上げていき、そうしてどんどん穴を掘って嵌っていくような 全ての目の前が暗く塞がっていくような心地ばかりが心の中をぴったりと侵食してきてくれる。 (俺は……、) 彼と出会った頃はどのように生きたかったのだろう…? こんな暗闇の世界の秩序はもういやだ。優しさを弱さというのなら、強さが弱る心を救ってくれるというのだろうか。 ねぇ、血に染まってアナタは楽しそうねえ。そんな嫌味さえ嫌味と成り立たない世界。当たり前。 ……当たり前に、誰も彼も死ぬのに。ただ自分だけが其れだけは許されないだなんて。 十代目。其れは自分の名前ではないと……。(言えたなら、しかし其れで世界の何が変わるというのだろうか。そして自分の形の一体何が。) 「……ねえ、ヒバリさん。正しいことって、なんですか……?」 「ん?君が生きているということだよ」 「………………へぇ、」 カタリと。常に持つことを義務つけられた銃にそぉっと手を伸ばす。情事に踏み出そうとしても其れはいつも其処にある。 枕の下にも相手の肩にもぶら下がっていれば、この部屋の机の中にだって勿論あるのだ。 冷たい固い黒の感触。暗闇の中聖女のような微笑の月光に触れてしまったよう。 「ヒバリさん」 首筋に埋めた唇。吸い込んだ彼の匂いは炎に炙られたような、渇いた風のように、まるで常に何かを求めているような 人の匂いだ。血の匂い。脂の匂い。その中に埋もれた彼自身の匂いは本当にこんなにも薄く口を付けてみてやっと解る。 「貴方に正しさを教えてあげますよ」 …………きっと、此のような事を知っているのも世界に自分ただ一人だけ。 『 すきだよ、すきだよ、あいしてるから…。だから。(たくさん言っておけば良かったと思った。) 』 「…俺はね、」 彼の正しさ。(この身を生かそうとするひと。) 自分の正しさ。(…………いらないから。) たとえ。 世界がどちらに『正義』見たのだとしてもきっと其れはただの強い執着だとこの口は囀るのだろう、 より不幸を知る為のように。 「これからは絶対に貴方だけは愛さないから。生まれ変わり出会っても絶対に貴方だけは」 手に馴染む感触。馴染んでしまった感触。真っ直ぐに顔を覗き込んできた美しい瞳の色。弄んでも顔色を変えなかった、けれどもけれども……。 伸びた手、そのままに。 コツリ、カチリと。 ほほえんでみせたから。 『 ………………すきだよ。 』 ただ。(傍に居なくてもいい。) 本当に。(広い世界の中で。) 世界の何処かで生きてさえいてくれたら良かった。 命は日々当たり前に続いて貴方は相変わらず陽射しの下で物騒に綺麗に笑う、そして、いつかは信頼出来る仲間を 愛する誰かを見つけてくれればと。それで。 (こんな世界で微笑む貴方は見ていたくないのだと此れは最早エゴなのだとしても、血塗れになって命を削るように磨く貴方が 哀し過ぎた。泣いていたら慰めてくれた手はもう何処にも在りはしない。) 「…バイバイ、ヒバリさん」 『 こんな結末の為にこの恋が在るのならば、 』 「綱吉…!!?」 ……ああ。 シアワセを望んではいけないだなんて、そんなの神様にだって言われたくない言葉だ。 (この頭に空いた穴ひとつが心に空いた穴程に大きくはないのだとは貴方は知らないのでしょう…) 『 ………もう、二度と 』 (貴方が俺を見つけ俺が愛した瞬間からこの地獄の釜口が開いていた事はお互いに知っていたでしょうけれど。) |