夜は更けて、時計はもうすぐ零時を告げる。テーブルを挟んだ向こう側には笑みを浮かべる可愛い弟分。その笑顔が、幾許か普段より弾んだような輝きを見せている事に俺は安心していた。
「最初の1杯だけはディーノさんも付き合って下さいね」
「1杯と言わず、1本位は付き合ってやるさ」








甘いワナ












 日もまだ高い午後に訪ねたボンゴレの本部で、妙に纏わり付くツナがまだ子供と言って差し支えない頃の姿を思い起こさせ、嬉しそうに笑って俺の顔を覗きこむ。
「ディーノさん、今日泊まっていけます?」
 何かあるのだと、その顔は楽しそうに綻んでいたので、俺も笑って頷いた。
今から1時間ほど前からそわそわしだして会話も上滑り。とんちんかんな答えを返していながらその事に気づかないツナに、こっそり笑いを堪えてきたのだが、5分前になって漸く何を企んでいたのかが分かった。
 マフィアのボスが二人、顔つき合わせて歓談してるってのに、酒一つ出てこないのはその為で。
 そう言えば解禁日は今日だったか…と、自分の所にも上納として届いた新酒を思い出す。
ディーノの好みから言えばヌーヴォーは甘くて、こうした特別な日でもなければ進んで口にする酒ではないが、11月の第3木曜日だった事に思い至って納得する。
 逆に甘口好みのツナは好んでいるらしく、この時期はコレばかりだとかつての師リボーンが零していたのを聞いたような気もする。

「俺の居た日本では零時丁度に売り出したりと、結構熱心だったんですよ」
「へぇ〜日本でなー…。つー事はトマゾんトコでも今頃飲み会かな」
「えぇ。日本は時差の関係で此処より早く飲み始めてるから、もう出来上がっちゃってるかも知れませんね」

 「そろそろですね」と冷やされたワインを片手にナイフに手を伸ばす。
 ボージョレ・ヌーヴォーは普通の赤ワインとは違い、渋みが出ないマセラシオン・カルボニックという特殊な醸造法で作られている為、軽く冷やした方が美味い。今年は夏に殆ど雨が降らず、最高の出来だと持って来た者が誉めそやしていた。
「ノヴェッロか?」
「いえ、ボージョレ・ヴィラージュです」
 ボージョレ地区でもより美味しいとされる土地の名をあげてツナが封を切る。
「勿論ヴィーノ・ノヴェッロもありますよ?」
 別の容れ物に入れられて冷やされた瓶はどうやらイタリア産の新酒らしい。
 更に奥に置かれたコニャックに甘い視線を投げ掛けながらディーノは浅くソファーに座り直した。ポンと音を立てて開けられた口からは爽やかな香りが零れ出す。
「こりゃ今年のワインも極上だな」
「楽しみです。お好きでしたらお届けしますが…」
「否、普段はワインはあんまり飲まねーな」
 赤い液体が綺麗に磨かれたグラスに注がれ、ディーノの手元へ送られてきた。ツナが自分の分も注ぐのを待って取り上げる。

「では、解禁」
「あはは」

 互いに軽くグラスを持ち上げてみせ、口元に運んだ。一昨年も当たり年だといわれ、甘みが強いのが特徴だったが、今年の物はより味に深みがある。

「……ジョルジュ・デュブッフのか…」 「当たりです、流石はディーノさん。俺、この人のが好きで、いつも買って来てもらうんですよ」
 ドメーヌ・ジョベール、ドメーヌ・デュ・ボワ・ノワールのほかラブレ・ロワ、ピエール・アンドレ、ドミニク・ローラン、ルイ・シュバリエのヌーヴォー、ルイ・ジャドのヴィラージュと幾種類ものボージョレ・ヌーヴォーが並べられているが、最初はコレなのだと言って弟分は微笑う。
 幼さは欠片も無いその無邪気な笑みに、ディーノの舌にも残る葡萄酒の甘みは良く似合うと思い、偶には甘いのも良いとディーノは早々に二杯目を要求した。



「…ツナ。じゃなくてボンゴレ。お前そんなに酒強かったか…?」
「えぇまぁ山本程じゃありませんけど、そこそこは飲めますよ。山本は完璧ザルですからね。その癖舌は肥えてるんで煩いんです」
 並んだ空瓶がカタンと一つ倒れたのをツナが起こし、それを目に留めてその数の多さに気がついた。今年のヌーヴォーを一緒に空けて話し込んでいたが、あれだけあった量が今は残り3,4本を残すのみだ。美味しい美味しいと嬉しそうに呑むツナに負け、ディーノも付き合って手をつけていないコニャックやウィスキーの類はまだ未開封のままだが、それにしていつもと比べれば酒量が多いように感じた。
 僅かに不可解そうな顔を崩さない様子にツナが微笑いかける。
「やっぱり付き合いで俺も飲む様になりましたから、結構鍛えられたんですよ」
 だが微かではあるが、ツナの頬骨の辺りがうっすらと赤みを帯びてきているように見えたディーノはソファを立ち上がって向かい側へ回る。
「ほら…ちょっと立ってみろ」
「酷いですね、ディーノさん。それ、俺が2度目に酒飲んだ時と同じ言葉」
 1度目はたった1杯でひっくり返っておいて心配するなと言う方が無理だ。2度目に飲酒を目にした時直ぐに駆け寄ってそう声を掛けたのを彼は覚えていたらしい。どうやら口調からするとそれを不満に思っていたようだが。
「お前が立ってから謝るよ。だから……ほら」
 差し伸べた手が取られる事は無かった。何せ、

「無理ですよ、流石にもう立てません」

 返されたのは手ではなくそんな言葉だったからだ。
「意識はハッキリしてますけど、平衡感覚はとうに狂っちゃってるんで立ったら却って怪我しそうで危ないかな」
「───…つまり酔ってるんだな?」
「まぁ千鳥足になるのは酔ってる証拠って言えるでしょうから、俺も『酔ってる』と言って間違いじゃあないと思います」
 千鳥足どころか今は歩けませんけどね。
 …………否、そんな穏やかに笑わないでくれ。





「マフィアのボスが立てなくなるまで飲むなよ…」
「あはは、跳ね馬ディーノが居るんですから大丈夫ですよ」
「俺は今両手が塞がってるぞ」

 ご機嫌で運ばれるドン・ボンゴレは、運び手であるドン・キャッバローネの腕の中で上機嫌に笑っている。ディーノに次ぐ鞭の使い手と噂される弟弟子の言葉に兄の方は苦笑を零すしかない。

「…ったく、ボンゴレの面子は何やってんだ」
「えへへ、勿論飲み会ですよー」
「スモーキン・ボムも?」
「隼人もです」
「へぇツナの護衛を自分から離れるとは珍しい事もあったもんだな」

 相手との取引条件など、同席が許されない場合や別行動での仕事時を除いて、四六時中と言っていい程ツナの側に控えている側近が暢気に呑んでいると聞いて、片眉を上げて驚きを表現した。それが愉快だったのかツナはクスクスと笑い続けている。

「実は俺が潰してきちゃいました」
「は?」
「あ、『お酒で』、ですよ? 俺が注ぐと隼人必ず杯干してくれますから」

 そこは『簡単でしたー♪』と笑うトコロではない。
 何となく元家庭教師の頭痛の種を見たような気がして溜息を吐いた。

「リボーンはどうしてる?」
「出張で居ないでーす。じゃなきゃこんなに飲ませてもらえませんし」
「ヒバリは?」
「リボーンに同じく」
「山本…はもしかして」
「はい、1番イイお酒運んでおきました」
「えーと…喧嘩屋の……」
「喧嘩屋じゃないですよ。笹川さんなら就寝してます。早寝早起きですから、あの人」
「………はぁ」

 昔の自分と良く似た奴だと思っていたボンゴレのボスは、自分とはどうやら性格の本質的な部分が異なっていたらしい。
 お互いファミリーを率いる身となって、それなりの親交を深めていく内、リボーンの愚痴の意味が分かってきたディーノはツナと居る間、一時自分が保父にでもなったような気分を味わっていると思う。
 細身とは言え、成人男子を抱えている腕は少し滑ってきて、勢いをつけて抱き直す。背に回した右腕も、膝を掬い上げている左腕もその骨格の華奢さしか伝えては来ないが。

「あれ、そう考えると意外と少ないですよね、俺の護衛って」
「そうだな。お前んトコはリボーンが居るから少数精鋭じゃねーと鬱陶しがって寧ろアイツに殺されかねねーんだよ」
 首を傾げた所為でディーノの肩にツナの栗色の頭がぶつかる。
「暴れるなよ」
「暴れてません」
 機嫌よく笑っている事と僅かな頬の赤みを除けば殆ど酔いが表に出ないツナの様子を見て、帰ったらリボーンに言いつけておかなくてはと思う。

 寝室の護衛すら追い払ってしまったのか、人気の無いツナの部屋のドアを蹴り開けて入る。
 何となく…予想していた光景とは違い、その部屋には、日本の匂いのするものは何一つ置かれてはいなかった。完全に西洋風の部屋を進んで、奥にあるベッドの近くまで運ぶと、その上にツナを軽く放るように落とした。
「ぅわ! うぅ…何するんですかぁ」
 情けない声はあの日本で聞いたものと変わらないままだった。
「礼を言われてもいい位だと思うけどな」
「頭が揺れて気持ちワルイ〜」
「あぁそりゃすまなかった。大丈夫か?」
 両腕で頭を抱え込む様子に、見えなくても泥酔状態だった事を思い出しツナの顔を覗きこむ。吐き気を引き起こしてしまったのなら少し可哀相な事をした。

 伺おうと腕を避けさせたディーノの腕を逆に掴むと、ツナはグイと引き倒した。
「ぶっ…」
 顔面からシーツに突っ込んだディーノは変な声を残して顔を埋めてしまう。真っ白なシーツが揺れているのは隣でツナが笑っているからだ。
「ツナ」
「あはは、だってディーノさん、ボスッ!て」

 ぶくく…と楽しそうに笑うとツナは、自分のほうを向いているディーノの肩を押すようにして引っくり返し、その身体に乗り上げた。
 再び「ぐえ…」と妙な声を零したディーノは叱ろうとツナを見上げて……顔つきを改める。

 獲物を狙う男の眼。

 それの正体が何と捉えるよりも早く手が腰の鞭に伸びる。

 ツナが反応するよりも早く攻撃は成功したが、鞭の先は全く見当違いの方向へ飛んでいた。


「相変わらず、部下の方がいらっしゃらないと力が出ないんですね」
 うっそりと笑うツナの眼は蕩けるように甘く微笑む。細く白い指がディーノの手を捉え、指を絡めて誘った。

 その次の瞬間、奪われた鞭はディーノに向かって牙を剥く……っ。

「俺も、鞭使いだって知ってますよね?」

 身体を染め替えそうな程飲んだヌーヴォーが甘くフルーティに香る。先ほど抱き上げて運んでいた時よりも強く香るその香りに悪酔いしそうだ。

「ボンゴレ」
「はい?」
「何の真似だ」
「あ、傷つけるつもりとか全然無いですから心配しないで下さい」
「なら解け」

 声を荒げる気は無い。相手に敵意も害意も無いから危険も感じない。だが、自由を奪われていると思えばやはり声は低くなる。呆れたような許すような表情を浮かべながら、おふざけも過ぎると嗜めた言葉にツナは、乾いた目で華やかに笑った。


「だってディーノさん、今夜は俺に付き合ってくれるって言ったじゃないですか」


 それは先ほどの酒宴が始まったばかりの刻。
 ヌーヴォーばかりをぱかぱか開けるツナの様子に、苦笑してディーノが告げた言葉だ。その証拠に今日は他の酒を一本も開けていない。


「今夜は付き合ってくれるんですよね? ドン・キャッバローネ」


 白い手はディーノの鞭を奪い取り、両手首を絡め取って縫い付ける。
 甘い甘いディーノの苦手なボージョレ・ヌーヴォーの様に。トロリと耳に流れ込んで甘ったるい後味を残していく声が、全く不快さを呼び起こさない事に。

 ディーノは今度こそ色々諦めて許して呆れて笑って…大きく息を吐き出した。


「ま、可愛い弟分のお手並み拝見と行こうか。ドン・ボンゴレ」



 これだけ完璧に人払いを仕組んで、用意して待っていた弟分の努力に免じて。






End 











2005/11/23