「隼人も食べたげよっか?」





 乾いた黒い血に染まるこの世界に入り、どれだけの月日が経っただろう。
東洋の血を引く最後の一人が10代目候補になったと知らされ、遠くイタリアから父親の故郷日本へと足を向けた。探し当てたボンゴレ10代目は、典型的な何処にでも居る、普通過ぎるほど普通の平和ボケした日本人だった。寧ろその中でも弱すぎたとさえ言って過言でない。今後マフィアの一員となる事すら信じがたい程華奢な骨格、脆弱な手足、何よりもその身体の中身に納められた精神ではきっと1年と生き抜いていけないだろうと思えた。
けれどあの人は何より、ボスとしての素質を持っていた。ファミリーというものを生まれながらにして知っていた。あぁこの人に仕えるのだと思った時この身体を走った興奮は、一種性的なものであったと言われても否定出来ない。
この先この人の傍らでゴルゴタの丘を越えてゆく。東洋人である事が如何にイタリアマフィアの中で不利に働くか、ハーフの獄寺でさえ苦汁の片鱗を舐めてきた。伝統・格式・規模・勢力…あらゆる面で秀でるボンゴレファミリーを、10代目就任後治めきれるのかが、組織の頭を挿げ替えるという行事の中で最大の山場である事は誰もが分かっていた。
ファミリーの為に身体まで張って下さる10代目の優しいお心は有難かったが、全ての部下の心をそうして掌握するにはその御身は大切すぎた。どうなるのだろうと一人密かにやきもきした夜もあったが……結果的に、その心配は杞憂に終わった。


 彼の心はその在り様を大きく変えていた。


 美しく、可愛らしく、麗しい姿のまま、彼はマフィアの鑑になった。










凍る砂












 バルコニーへと続く大きな開き戸は全面世界最高の強度を誇る防弾ガラス。無論特注で、そこに掛かるカーテンは常に纏められている。燦々と降り注ぐ陽光を部屋に取り入れるのは、日本家屋で生まれ育った彼の好みである。家具や敷物の色が褪せると言って側近の者達はあまり良い顔をしなかったが、それも当然の事だろう。闇に生きると言って全く相違無いマフィア最大勢力の執務室が、こんなにも日の光に照らされていては何処となく居心地が悪いと思うのが、骨まで滲みた生き方だ。
 一度仕事の報告にこの部屋へ来て、共に下がったファミリーの一員が零したのを聞いた事がある。彼曰く、
「まるで教会に懺悔しに来たようだ」
と。
 成程上手い事言うものだとその時は思った。白い陽光を背にたっぷりと浴びて、穏やかに微笑うボスは、慈悲深いと謳われる創造主のようだ。更に彼の持つ権力をよくよく知っている彼らが絶対神に喩えるのも分からなくはない。
 セキュリティ上の理由から背を壁にしろと、護衛頭となるリボーンさんが忠告しても、10代目はそれを変えさせようとはしなかった。日の光が好きだという彼の言葉を疑うつもりは無い。そんなつもりは毛頭無い。10代目の言葉は絶対だ。

 それでも獄寺は思うのだ。
 本当にそれが理由なのだろうか、と。

 穏やかに…透き通るような優しさで微笑む10代目の姿は美しいが、その温かな瞳が微かに潤んだまま、凍りついているのをもう何年も見つめ続けていたから。


 獄寺が気付いた時はもうツナの目は今の目をしていた。東洋人にしては色の白い肌はやはり欧州の血を引いていたのだろう。騒がしい日常にも慣れ、落ち着きと貫禄と言うものを身に着け始めた彼は、驚くほどその容姿の美しさを際立たせた。曖昧に浮かべる優しい笑みは内に秘めた感情を悟らせず、最小限でありながら的確な身のこなしは優美であった。まるで誰かの愛人にでもなるような風情は確かにそんな誘いも呼び込んでいたらしいが、その素性を知るや否や平身低頭して謝罪し、帰っていくらしい。
目を瞠るような変身の一方で、柔らかな髪と同じ色の目だけが冷たく冷え切っている事に気が付いたのは、もう引継式を1年後に控えた頃だった。人を惹きつけるという最大の魅力をめきめきと伸ばしながら、彼はその裏で冷徹な判断力も学んでいたという事か。分かっていた筈の事実に思わず獄寺はリボーンの顔を凝視したが、教え子よりも更に完璧に感情を押し隠す無表情がそこには在るだけだった。

 一体いつからツナの目が凍ったのかは獄寺には分からない。実際気が付かないほどゆっくりゆっくりツナは変わっていったのだろう。側に居た所為で小さな変化を見逃したかもしれない。もっと早くに気が付いていればと悔やむ事は多々在るが、ツナの側を離れる事が自分に出来たかと自問すれば考えてみる事さえ無駄だった。

 襟足を伸ばした栗色の髪が肩を過ぎる頃には、彼の雑食は周囲にとって当たり前の認識だった。誰もが初めて知った時には驚くものの、知っていた人間達の平然とした顔にそれを押し殺す。大体が、イタリアに渡る前のツナを知るからこその驚きである以上、驚く者が少ないというのも原因の一つだったろう。マフィアに複数の愛人の居る事位は常識以外の何者でもなかった。逆に「アイツは愛妻家だから、接待には女を外せ」といった情報の方を記憶に留めて置く方がまだ有益である。

 それでもその事実を日本から連れてきた仲間の中で知ったのが最後だったのは、盲目的なツナへの忠誠心に配慮された、と捉えるべきなのだろうか…と獄寺は思った。

 彼の側に在れば何時でも感じられる高揚感。子供の様にただ嬉しかった。彼の為に働きたかったし、彼に命令されれば自分は必要なのだと思えた。あの白い手を赤く染める事が無いよう彼よりも下で処理出来る様努力したし、一方でその手ずから敵に血を流させ、共に戦えるのが幸せだった。

 凍えた瞳に最初に気づいたのは獄寺だったけれど、最後に彼の性癖を知ったのも獄寺だった。


「…10代目……?」
「焦らされてんのかな〜…とか思ってガマンしてたんだけど。まだダメ?」

 血が沸騰したと思った。
 血が逆流したと思った。

 この人を美しいと思っていたのも、己がこの美しい人に欲情していたのも、それにこの人が気づいていたという台詞も、全ての事実が一遍に獄寺に襲い掛かって、処理能力に長けていた筈の脳がパンクした所までは覚えている。

 乾いて凍った瞳が、赤く、残酷に悦んだのを認めた後、獄寺の意識は、身体を貫く痛みに全て奪われた。






(それで俺が一番になれるとか思ったのが、身の程知らずだよな……)

 それから何度か彼の望むままにツナに抱かれた。最初の時は猛烈な痛みだけだったが、元々挿れる筈の無い器官に無理をさせたのが問題であっただけで、ツナは手馴れた様子で獄寺を抱いていた。痛みよりも強く快感を拾えるようになってからはそれほど辛くはなくなったが、獄寺を何よりも悦ばせたのは、その攻撃的な眼だった。凍った眼に一時炎が宿るのを見るのが好きだった。それが自分を抱いているからだと思えば、どんな上等な美酒よりも気分良く酔えた。


 だが5,6回も回数を重ねれば、浮かれた獄寺でも気がつく。

 ツナは誰とでも寝る。

 勿論それはツナが抱かれるのではなく、相手が男でも女でもツナが抱くのだった。声を掛けられて小さく笑って喜んで、ツナに連れられていく。嫉妬に頭に血を上らせようとして、人目を避ける事無く行われたその誘いに、周囲が何の注目も払わないいつもの事なのだと気が付いて。
 ……絶望した。

 そして、絶望したその翌日にも、彼に抱かれて嬉しく思う自分に失望した。

 たった一度で飽きられない程度には気に入られたのだとの発想の転換に行き着いてしまった時は自分でもどうしたものかと思う。
  ツナの愛人の数は決して多くは無くて、ボンゴレのボスとして適量の人数を所有していると聞いている。それは愛人として定められる事すらない、多くの人間が居るという事の裏側でしかなかった。

「一応相手の検査結果は手元に揃ってるぞ」

 何の慰めにもならない言葉を掛けてくれたのはリボーンだった。11歳になった彼は退屈そうな…と言うよりは呆れ返った視線をツナの部屋に向ける。

「俺はこんな教育、アイツにしてないんだがな…」

 溜息交じりで言う割に全く困った様子を見せない少年は、この件を問題とは捉えていないのだろう。
 そうだ。きっと問題じゃない。
 ツナに。
 あの乾いてしまったツナに。
 恋情を抱いてしまった獄寺だけの問題だ。……ツナ自身でさえ当事者ではない。

 一方通行の、想い。ジャマなモノ。けれど切り捨てるには、獄寺はこの感情と共に在り過ぎていた。自覚が無くても。日本の中学校で彼に守られた時からずっと。



「リボーン、抱いてー」
「…はいよ」
 億劫そうに返事をして、隣の少年がツナの元へと向かう。嬉しそうに顔を綻ばせて迎えるツナ。扉の向こうに消える二人の姿を見て、鈍い痛みが胸を刺す。
誰でも抱くツナ。けれど彼を抱くのはたった一人だ。彼が最も信頼し、その命を預け、片時も放さない少年。
獄寺は、誰よりも側に居たいと願ってツナに抱かれたが、その位置に居るのは彼を抱くリボーンの方だろうとぼんやり思った。この身を直接差し出しても、この心の一番柔らかい所を捧げてもツナの眼は冷たく乾いたままだ。




 いつもツナの変化に真っ先に気付くのは獄寺だった。

 だから獄寺は薄々と気づいていた。



 ツナがまた変わり始めているのを。



「それでも…骸が気になりますか? 10代目」



End  












2005/11/20