愛してるといえば世界は緩やかに腐臭を滲ませる。













Supernova U














あの人は嫌いだ、そう心の奥深くで呪うように念じながら綱吉は首元の赤い花弁を ぐいっと掌で強く摩るように拭った。…そんなことであの唇の痕は消えないというのにそれでも もう一度。つよくカルく笑いながら。綱吉は執務室の扉を荒々しく開けるとすぐに手近にあった ソファへと上着をバサリと放り投げた。部屋は暗かった。しかし月明かりが密かにうっすらと窓の周りだけに溶け込んでいる。 空は美しい藍色だ。

「骸、いるか」
「ええ、こちらに」

緩んでいたネクタイをシュルリと完全に襟から抜き取り其れも無造作に放る。深く鮮やかな赤がぱたりと 夜の底のような部屋の中血のように床に落ちた。

「ヒバリは依頼を受けたのでしょう?」
「受けたよ。あの人は何だって本当は嬉々として受け入れる」

ヒバリ。散々な抱き方をしたって平然と笑う。ふっ、と時折刹那抱かれているのは自分の方じゃないかと錯覚させられる。 厭だ。じゃあ何でそんなにも不機嫌なんですか貴方はと骸がクスクス微笑む。 暗い部屋の中は檻の中みたいだ。窓の向こうの方が明るいだなんて。外の方が暗くなるから 此処まで暗いというのに…。綱吉は苛立たしい色でもう一度はっきりと彼の名を呼んだ。骸。 なきがらが名前のひと。

「はいはい、なんでしょうか綱吉さん?」
「抱かせて」
「えー?」

するりと背後から腕を白く滑らせ絡みつきながらよく言うものだ。思わずくっと喉奥から笑いが込み上げた。 そうすると骸もクスクス鈴を転がすような声で微笑い、吐息のような声でこそりと名を、耳たぶに口吻けながら 囁いた。ツナヨシ。子供のように無邪気な声で。

「骸はいつも幸せそうだね…」
「はい。貴方がいるんですもの。幸せですよぉ?」

だって貴方がこの世で一番好きですもの…、そう紡ぎながら綱吉の体に殊更深く腕が絡まり密着した骸の躯との境が 服越しからでも分け合う熱で曖昧になってくる。好き。不思議な言葉だ。この男の言葉がこれ程までに無邪気に 輝いてしまうだなんて。爽やかな物言いの底にドロリとしたものを溜まらせている男なのに。

「骸はおかしな男だ」
「そうですか?僕としては貴方の方こそ稀な人ですよ。最も生き方事態はそう稀なものではないですけど」
「……やっぱりおかしいよ骸は」
「いいえ。僕はおかしくはありませんよ」
「だって俺を選んだ…」
「だって貴方が好きなんですもの」

だって、だって、だって…。骸は子供のように繰り返しながらすぅっと綱吉の服の中に手を差し入れ始めた。 だって貴方キレイなんですもの。首筋を冷たい雫が滑り降りるように花弁のような唇が舌を覗かせ食んでくる。 だって貴方本当はいきたくないんですもの。綱吉は胸を這いまわる腕を取って甲に唇をふっとおとした。 だって、だって。骸の言葉は夜の中音楽のように空気を震わせ綱吉の心の波を静かに凍らせる。 美しい姿。血色の似合う男。蛇のように絡み誰よりも善意を知っているような顔をする。 悪意を一番よく知っているからと。美しい笑顔。

「……俺も、骸だけでいいよ」
「じゃあ殺してしまってくださいよ全てを」
「骸だけでいい」
「ねぇ?貴方本当にどうしたいんですか?僕だけじゃ不満なんですか?」
「骸が傍に居ればいい」
「なんですか其の物言いは。まるで僕は此処に居ないみたいじゃないですか」
「骸。あまり我侭を言うな」
「我侭?其れは貴方の方でしょう?まだ彼らと馴れ合うのだから」

骸。綱吉の声はちいさく深く零れる。カランカランと。空っぽのように。溜まらない深さの穴を内包して。
綱吉は知っていた。本当は知らない振りをしていたいと思うけれども。其れを許さないように二対の瞳が 強く刺し貫いてきた。ひとつは。いいやふたつともが楽にしてあげようかと、最大の慈愛のように紡いでいた。

「お前は本当にダメツナだ。お前自身はこんなにも弱いというのに…、お前は年々弱るというのに。 どうしてか昔のお前は未だ健在なんだよ」
「君は弱いよ。でも、どうしてだろうね?昔の君を誰もが忘れないんだ。誰もが君を好きで好きなままで、 君が君を殺そうとしても彼らはきっと君を生かそうとするんだよ?ああ、実に下らないねぇ草食動物ってのはさぁ…」
「ツナ。お前がどんなに変わろうとも死んじまっても奴らはお前を覚えてるんだよ。……まあ、それが お前にとって一番辛いだろうが。だが、それが……」
「君は誰からも愛されている今もなお。深く。君が築いたものだよ?君は彼らに光を与えたんだ」
「お前は導いた」
「君は救いあげた」


彼らはいつだって勝手なことばかりをいいのけて、しかし押し付けるわけじゃないのだ。 勝手に。自分がただ言いたかったのだと、それだけでお前をどうこうしたいわけじゃないのだと何よりも 雄弁な獣の瞳が微笑んだ。一度は其れを突きつけられる人間の身になって欲しいものだ。 …ああ。全てを失うことはまるで素敵な贈り物をたくさん与えられたような喜びだろう。

…でも。
綱吉は淡く微笑みながら、ニコリと微笑む骸の顔をゆっくりと見上げた。『何か』を振りきるようにして。
だって。

「骸。俺はお前だけでいいよ」
「はい。僕も貴方だけと決めておりますよ」

もうすべて、もう。もう…。(其れが愛という形であるならそれならなんて残酷なことだろうか。そんな事を願ったわけではないというのにどうして。 どうしてどうして。彼らは平然と……?)
どうして気付いてくれなかったのだ。(せめて、このヒトと出会う前までにはなんて。無理だ。だってもうこのヒトを 切り離すなんて出来はしない…。だって其れが今の『俺』なのだから)
もう、何もかもが。世界の何もかもよりも美しいものが此のヒトでしかない。

「……僕はね、いつか貴方もコチラ側に来てくださると信じておりますから」

この背中を何対の瞳が灼こうとも。(自由に。自由に。自由に…。本当に光を与えたというのなら如何して 引き摺り込んだ世界はこんなにも真っ暗なんだい?血の匂い、脂の匂い。其れを身に纏う事が 本当にそんなにも……、好きじゃないだろう?いつか恨むならいっそ今こそ、今こそに……)

「ああ、いつか…」

いくよ。その言葉を掬い取るように彼は綱吉の唇をすうっとナイフを静かに差し込むような 根深い怒りにも憎悪にさえよく似た色で塞いだ。冷たく綺麗な唇をこそりと開かせ舌を差し出せば綱吉も応える。

「ねぇ、貴方は闇の帝王になるお人でしょう?それなのに、なのにねぇ……」
「なに、骸?」
「貴方は本当に少年のようですよ。『当たり前の正義』を未だに唱えるだなんて…、ねえ?」
「……………いいえ」

綱吉には解らなかった。彼らも彼も自分を何故選ぶのかを。(いいや、これは知らない振りなのだろう。これこそが)
もう目の前は闇ばかりだ。……けれども、けれども。(逃げたいのだ、何もかもから。解放されたいのだと…。)

「骸。俺は本当にお前だけでいいよ。俺は、お前がいいよ……」
「ええ。ええ…。共にいきましょうねぇ…、地獄へとね」

道連れはいけない。彼以外誰も傍には。 (きっと自分はこういう形であれば随分といきやすかったのだろうと)
どうしてだろう。骸が手をひく。綱吉は骸を床に組み敷きながらも苦く祈るような気分だ。 どんどんと暗がりの中を引き込まれていく。 まるで骸こそがこの世の唯一つの絶対なる神。その神は自分に忠誠を誓うとわらう。まるで美しい蛇のような 高慢な仕草。豪奢ではなく清楚な香りの容貌。冷たく柔らかな…、愛しいと囁く声は 少しだけ切なかった。


「そうだね、骸……」













かみさま。
闇をのぞけば闇はほほえんでくれます。
(貴方はどんなに見つめて声を張り上げても見ないフリ聞かないフリでこの瞬間にも横をむいておしまいになっているのですね…。)








綱吉は密かに肩を震わせ、あとはただ目の前の躯に没頭した。







(終)











2005/11/25