(其れは微笑いながら訊くことでもないというのに。)
いっておいで。ころしておいで。柔らかな声が送り出す言葉を紡いだ。










死体の話をしよう












あれはいつの事だったろう。鼓動の音が耳の奥から響くようだ。 ぐわんぐわんと脳と視界が密に絡み合い柔らかく熟れてひび割れていく此の感触。 確かこんな気持ちを遠くの過去で知った筈だった。ザクリ、そう切れる瞬間を見た時とは違う。 死ぬということを目の前で広げられた時に知ったものではない。 死ぬのは。死ぬことは、……いいや、そういう事じゃあない。 かぶりを振れば、ポロリと振り落された。何故甦るのだろう。此の感覚が。何故……。 答えはとうに知り得ているが、敢えて訊こうじゃないか。

「なに?……何を怒っているの骸」
「貴方が愚かだからですよ」


『 私は愚かでしょうか 』


まったく貴方という方は…、その言葉から始まるだろう骸の説教に綱吉は苦くやさしい色でわらった。 襲撃されたのだ。 一言でいえばそういう目に遭い、ボンゴレ十代目を襲名した彼にとっては 日々極当たり前の事で今更其れをどうこう言われるというのも可笑しな話だ。 このちっぽけな躯に放り込まれたる意義。 そんな事解りきっている事じゃあないか。今のこの瞬間にだって策は練られているだろう。 ねえ、骸。あちらさんはボンゴレが憎かったり欲しかったり叩きのめしたかったりイロイロなんだから。 かつては自分を狙ったお前にならよく解る事情じゃないかな。そう綱吉は口に出して一度だけ殺されかけたので今回は口を真一文字にして閉じておいた。……ああ、そういえば口の端が切れていたか。ひくっと動かしただけで痛んだ唇に綱吉はそっと親指で触れてみた。ぐいっと拭ってみても血はこびり付かなかった。いたみはあった。

「………骸、そこにいるよね?」
「ええ。すぐ傍に居ますよ」

綱吉はベッドから上体を起こした。覚束ないギコチナイ動き。この人はこんなに細かったのか。 すっと捉えた手首を握ってみて骸は気付いた。いつも大きな顔してわらうから誤魔化されていたのかもしれません。 そういえば背だって骸よりも未だちいさかったのだ。……綱吉はふと眉を顰めさせた。 骸。骸。ねえ。果たしてこの呼び声は届いているのだろうかお前に。ぎりり、と掴まれた腕がいたかった。

「……………ころしてきます」
「そう…」
「殺してやる」
「がんばって」

帰ってきた時に俺たちは死体の話をするのだろうか。 ふと綱吉はそんなことに思い至りながら、頼りなくぐったりと肩に額を押し付けてきた骸を甘受した。 大層熱のこもった言葉が耳元を擽る。呪詛が。 さっきから零れていただろう涙と共にはらはらと綱吉の肩に散った。


(俺は、まだまだ死ねないんだ…)

ゆっくりと顎を上向け天を仰ぐ。此処は何処だろう。くん、と鼻を動かしてみれば骸の髪の匂いが甘く香った。 不思議なほどに静かで僅かな衣擦れの音と共にほとほとと。さびしいねいろだ。
(だがこの躯は耐えず不快な音が氾濫して、ああ、どうやら目の前は包帯で覆われているのか…、 見えなかったんじゃない、だるい、躯が麻痺している、熱が、膿んでいる、骸…ッ)
なんてさびしい場所。

「そんなに泣くほど悔しいの?」

応えはない。……解りきっているよ。
死体の話をするのだろう。きっと。なきがらの名前を持つこの人が帰ってきたら。


「……それとも、そんなに俺が好きなの骸?」

此れも解りきっているのだ。この人の中で自分が限りなく永遠に近い存在だという事など。 永遠。同じ姿であり続けることではなく、またもう一度出会いを繰り返しても良いと思うことだと綱吉は思うのに。 永遠に繰り返す。それが永遠だ。けれども彼の羨望によって思い描く永遠には死がない。 生だけの、其れだけの継続を望む節がある。…いいや、骸は。彼の望む永遠は…。 ああ、やめておこう。綱吉の躯が悲鳴を上げた。無理なんだ。 熱い息が漏れ出て喉の奥に何かがとりついててひっそりと細くしか吐けない…。 熱で炙られた思考回路などでは病んだものしか産まれないだろうから。 ぐらぐらと、そして何かがぶつぶつと千切れて奇妙な想いを形成してくる。ああ、なんだ。死体だ。 それが頭の中をいっぱいに生まれてきた。そういえばこの目の最期に其れを映した覚えもある。 …そうだね、死がないものは人間だろうか。 人間ではないのなら、人間からはぐれてしまったものは死体じゃないだろうか。 魔性になるのも生きていればの人間だろう?死体。生きるものの当然の終着。帰結。終焉。 生は限定されることにより定義される。反対に死は無限だ。 ある一点からして無限であり無法則であり、無だ。 まるで永遠を生きるというのは死体になれば容易いのではないかと胸を突かれる思いが生じてくる。 永遠を生きる死体。なんとも楽しい幻想だ。 (そういえば、死体は腐るのだった…)(でも、生きてても腐るものもあるんじゃないか。この目が)

「……この目の傷なら大丈夫。片目だけだよ。今はお前と揃いの赤い目だ右目は」
「貴方は愚かだ、いつも命の危険を省みない」
「俺は前に立たないといけない。安全な場所に居たらいけないんだよ。例え、其れが死に急ぐことでも俺は」
「愚かだ…」
「そうだね。でも、お前も愚かしいよ」
「…ええ識ってます」

綱吉はだらりと肩からぶら下げただけのような右腕に力を込めてみた。 きしり、きしり、ゆっくりと持ち上げて骸の背中へとまわした。 五指でぎゅっとシャツを握ってその下の肌に食い込むように爪を立てた。 ガクガク震えた。カハッと綱吉は空咳のような妙な息を吐き出しながら、骸の躯を引き寄せた。 肩に食い込む頭をもう一方の腕で探っていると、すうっと上体を起き上がらせていることが楽になっていた。



「早く殺してきなよ骸。俺が本物の死体になってしまう前に」


『 ……敢えて訊こう。 』

骸は寂しく思う。願うように祈り請うように。綱吉の躯はまるで火のようでありながらガタガタと震えていた。 ああ、この方は神ですか。愚かな幻想だった。 弱った綱吉をきつく抱き締めれば、ふるりと何かの振幅が冷たい色で大きくなった。心臓の音かもしれない。 何故だろう。今、こんな姿に為っていてさえ彼は何を欠かす事も無くいつものように笑っていてくれる、彼は彼か。 其れゆえに盛大に軋む。この方は。ええ、解っていましたが知らない振りで。 そうです、このひとは神様じゃありませんでしたよ…。


「はやく殺しておいで。絶望を共に知ろう。俺以外の何を殺したって俺は死ぬ運命だ」


ああ、なんて恐ろしい。災いだ、災いだ。骸は喉奥で密かに喘いでいた。
ただひとつの肉と魂と命の人間を愛してしまうなんて。 (神の愛は無限だときくが、確かにそうなのだろう。 こんなちっぽけなものを愛するという芸当は鋼よりも強固な覚悟をもってしてもまるで歯が立たぬ。 やさしい気持ちで愛したい。 されども愛すれば愛する程に喪われる事実に心は荒々しく削られ終には狂気の渦へと飲み込まれてしまうのだ。) …なみだはまた、ほとほとと零れ落ちていった。


「…ッ、あ、なたは、愚かなひとです」

このひとはいつか死体となって転がる存在だ。

(人間の成れの果てが死体である。) この人の最後は死体です、それは永遠に記憶に刻まれてしまう激しく鮮麗なる『さようなら』。 (このひとは神ではない。 だから決して此の世界が終わることもなく、この輪廻が断ち切られるという甘き幸福も夢見てはいけないのだ。) 如何すればいいのだろう。 繋ぎとめておきたいものが最も捉え難く、欲しい言葉は欲しいだけくれるこの詐欺師を、 騙されられない自分は。如何すれば。(僕はまた生まれ変わるのです。)


「骸。俺は今のお前と生きる事しかしてやれないんだ」


綱吉の声は真っ直ぐだった。(何処か恍惚の色が染みていた。) なんて残酷なひとだ、骸はそう思ったが、賢者と愚者の区別は何処で決まる? そんなことが頭の中ひらりと浮かんでいた。にこりと微笑む口許。赤く染まった口端。 …片目となり腕を撃たれた。命を狙われたひと。安穏とは真逆の道を疾走していく。 闇の中光のように。わらってしまいたい、何だこの現状は。最早断ち切れない程の増殖したものが在ります如何しても、 もう少しと聡く在れば決して…。 (だから俺が好きなのでしょう?無垢な鳥のような目が微笑み心を見透かした。) きっと、このひとは欲望に忠実な人間なのだろう。まさしく神の模造品だ。



「……さあ骸、ボンゴレのドンに楯突いた野郎共に報復しておいで。其れでお前の気が済むのだろう?」

では此処は楽園を模造した…?
綱吉の意識は其の言葉を最期にふっと途絶えた。 ぐったりとした躯が骸の腕の中に沈み込み、彼の口許は微笑みの形で止まっていた。 骸はそこにひとつ口吻ける。まるで彼の静かな顔は終わりを夢見ているかのようで哀しかったけれど、 このひとの心は誰よりも美しい、しかし醜悪な想いが巣食っているのではないかと思わせられたのだから。


「はい、綱吉様…」



綱吉の躯を丁寧に寝台に横たわらせると骸は表情全てを顔から削ぎ落とし部屋を出て行った。 …途端、世界は暗く一変する、長く赤い回廊を一歩一歩踏みしめる度に思い知っていく。 彼から離れていく。だからこそ心は焦燥を孕んでいった。 彼の失われた右目は死体を最期に閉じた。そして自分もまた彼の死体を見て何かが閉じるのだろうと。 ……ああ、なんて不吉なことばかりだ。


(本当に、何を今更な……。)

はやく戻ろう。 彼が目覚める前に。 そして、命ひとつくれてやっても叶わぬ事など溢れているのだと彼に訴えてみよう。 きっと優しく慰めてくれるから。




「……ああ、僕はまるで恋の亡者ですね」










( 貴方と終れたらいいのに……。 )



(終)











H18.1.22