厳しさのない美など惰弱な愛玩でしかない。









ひとをうつくしくするもの












君は美しくなったものだね、そんな言葉を彼以外からも綱吉は言われたことがあった。 うつくしくなった。決して世辞ではないといわんばかりの微笑みをふわりとのせた 目の前の彼と、以前その言葉を綱吉に投げた人物はやはり似た者同士であるのだという確信が綱吉の中で深まっていく。 だが。幾ら確信がどれだけ強まっていこうとも、其れを少しでも口の先や空気にでも匂わせてしまえば たちどころに命はなくなるのだ。 確信が強いからどうだ、真実だからなんだ、この二人の機嫌を損なわせても生き永らえる確立がぐぐんと 高くなるわけじゃないというのに…。ああ。反対に急速に低まる一方だろうに。 はふっと溜息が思わず漏れ出てしまうじゃないか。

「あんたは親戚のおじさんですか…?」
「いいええ、そんなことあるわけないじゃないですか。僕はまだぴっちぴちですから」
「物言いがですよ」
「けれども本当のことですよ。貴方は美しくなった」

本当にね。彼は殊更やさしい眼差しを造り深く微笑しながら綱吉を見つめた。……ウツクシイのは、あんたの方がだ。 ゴクリとそんな言葉を飲み込みながらやれやれと綱吉は疲れた笑みを返してやる。 色違いの眼差しのせいか、彼の笑顔は悪巧みをする猫のような印象を綱吉は受ける。 確かに甘いやさしい笑顔なのだろうが、しかし、その裏で結構エグイことも考えてしまうお人なのですからしてねえ、 ヒクリ、口許を僅かに引き攣らせながら、常よりも極上の微笑を綱吉は真っ向から受け止めた。 (そらすな危険。)

「まあ、君が美しくなったというのも、君が悲劇的だからという意味も込められてるのですけどね」
「はあ…」

そりゃ同情をどうもと思いながら、ソファにどっさりともたれた。骸もまた、くつろぐように組んだ足の上に肘をつき、 そうして背をまるめ頬杖をついた。 そんな姿を綱吉はのんびりと優雅な華麗なる考える人みたいな姿だなあとなんだか思った。 ニコリと微笑む。つやつやと女のような唇が嬉しそうに開いた。

「君は堂々自分を憐れんだっていんですよ」

天女の如き微笑みで紡がれた。そりゃ充分もう憐れんでるのに。綱吉は首をはてなと傾げた。 すると彼はコロコロと本当に楽しそうにやさしくわらった。 何が可笑しいのだろうかとムッとすることはなかったが、心の底が何だかゾワッとした。 優しいのは上辺だけなんだ、目は冷たく凍えた色で嘲笑が滲んでいた。彼はスッと首を伸ばすようにして テーブルを越えて綱吉の間近に、その白皙の美貌をゆっくりと近づけていく。 にげたい。綱吉の顔は、もうすでに長い指で顎を絡め取られていて逃げ場がない。引っ張られていく。(本当は何処へ?)

「僕もね、」

彼は信じられないくらいに美しい。ニコリと微笑みながらもギラギラと目を見開いても、なんて美しいんだろう。 醜悪だと思うこともある。けれども綺麗に綺麗に、とても美し過ぎて目をひくのだ。見るだけで極楽にいけそうなんだ。

「君もね。神様がくれた悲劇で魂を研いで無邪気な産まれたてのナイフのようにつやつやと綺麗に輝いているのですよ」

生来からの身の美しさに僕は興味はない。愛でる趣味なんかないのです。骸はくつくつ微笑みながら鼻先を触れ合わせじっと 綱吉の目を見つめた。綱吉に骸の口許が見えなかった。目だけだ。そうすると彼が本当に笑っていないのだと思い知ってしまう。 暗くて怖い顔だった。何故悲劇が綺麗にするの、そんな言葉がするっと零れ出た。おそろしかった。彼はもしかすると 未来の自分ではないかと思わせる。誰一人として信用の出来なくなった…、そんなこと有り得ない。けれども皆居なくなってしまったら 絶対にそうなるだろう確信はとても根強い。 裏切られたら生きていけない、いいや、裏切られたら何かが終わり新たに始まるだろう。そう、『彼』に為るのだ。 もしかすると彼と共に居るのかもしれない……、キシキシ頭蓋が軋み傷む、ああ何て、嫌な未来予想図。

「だって、安穏に暮らすなんて豚のようじゃあないですか。家畜ですよ。厳しさのない、締まりのない、そんなものが 美しいわけないじゃないですか」

僕は君と生きてみたいなあ、そう言われて綱吉がギクリとした。眼球をぐるりと回して彼を視界から排除したい。瞼が 閉じれない。閉じたら怖い。でも同時に世界の何処からも居なく為らないでと思った。見たくないのに居て欲しいなんて、 それはなんだか矛盾に満ちている。居なくなってしまえば見なくてもよくなるのは確実だ。それなのに?

「どうせならね?赤く濡れて飢えて渇いて満ち足りて、ごろごろと気ままに転がり落ちていく方が爽快じゃあないですか。 羊のように草を食んで管理された静謐の中で暮らすよりも夜の獣のように豪快に屠って愉悦に身を任せる方が絶対に楽しい。 命を玩具に、命を磨いて、命を奪って。ねえ、知ってます?命は奪ったら返してあげることが出来ないのですよ? 臓物は取替えがきくのにね」

ねえ、あなた、あなたいったいどれだけうばったの?骸はちいさく微笑むように言葉を嬉しそうに連ねた。 あれは一個だけのものなんですよ?まるく幸せそうな声だった。綱吉は喉がカラカラに渇いてる事に気付いた。 (いや、それは幻覚だ。本当は喉など渇いたとは思わなかった、まるで口に繋がる器官をすべて失ったように鈍く虚ろに 口の奥から先の感覚は閉じてしまっていたのだから…。)

「ふふ、神様のくれた世界で悲劇の舞台でそうやって好きなように演じればいい。 貴方は貴方の遣り方で魂を磨く…。血をたっぷり塗って研いでいけばいいのですよ?」

憐れめばいい、自分を、憐れめばいい。ふっと唇を触れ合わせながら骸は夜の底に 降り積もる雪のような真っ白な言葉を紡ぎ続けた。冷たくはなかった。 美しすぎるということは一種の呪いのようだ。 そんな言葉が脳裏にするりと閃き、綱吉は骸の顔がひょっとして好きなのかもしれないのかと思う。 触れ合う事に恐怖はあっても嫌悪を抱きはしない…。唇はつめたかった。 そっとそっと、綱吉の首に骸の手が女のように絡んだ。そういえばこの男は本当に呪われていたと ハッと今更ながら思い出して、ほろり、笑みが口許から零れ出た。

「でも僕を憐れむことは許さない。貴方の下にいるだなんて真っ平だ」

喉は渇いていない。(気付いた。)綱吉はそっと舌を口内で動かした。零れていく笑みは止まらなかった。 そうだった、そうでしたね。我ながらぼんやりでした、近頃忙殺されていたからすっかり忘れてしまったのだ。 今になって漸く綱吉に彼の言いたかった事がわかった。ハハッととうとう声に出して笑い出しながら、ぐいっと 彼の肩を押して迫った顔を綱吉は遠ざけた。骸。骸よ、綱吉は凛とした声で彼の名前をまっすぐに呼んだ。

「俺が憐れまなくて、誰が一体憐れむというのですか。貴方がいるから俺は俺でいられるのに」

かわいそうなひと。殊更ゆっくりと一字一字をはっきり紡ぐと、綱吉は堪らず大声ではしゃぐように笑いだした。 すみません、すみません、合間合間に滑り込ませ繰り返す。 まったく疲れた姿で起きているものじゃないなあと後悔してきた。

「俺はボンゴレのボスですから、いいんですよ。貴方は俺の部下だ。さっきまでの俺は休憩中だったんですよ」
「ええ。本当に気の抜けた顔で」
「間の抜けた顔で」
「其れはいつもですよ」
「……そうですか、そうですねぇ」

どうせね、綱吉は苦く晴れ晴れと笑った。緊張感の無い顔だとよく言われるし、へらへら笑っているし。 無表情だとかきりっとした表情は未だ完成しない。まあ、俺はこんな風でいいんだよ。 そう開き直ったら死神の長い足で鳩尾を蹴られたが、それでも、完成はしないまま。
俺はおれ。

「………綱吉くんは本当に美しいですね?血の色さえ貴方のかがやきに飲まれてしまうのだから」
「はいはい、その話はもういいですよ」
「誰もが貴方を裏切れない。もし裏切られたとしても貴方はきっと僕のように為ってくれないのでしょうね」
「ええ、なりませんなりませんとも!俺は裏切られたら死んでしまうしかないんですから」

ああ、貴方は本当に世界に愛玩されないイキモノだ。骸は残念そうに呟きながら美しく微笑み 深く口吻けを施した。






(終)












H18.2.11