僕にとって死とは歪んで澱んでドロっとしたとても醜くぐちゃりと黒く塗り潰されたようなものであった。









きみのくちびるにうた












むくろさま、控えめな鈴のような声が彼の思考回路にそっとふれてきた。チリリン、彼の背後で自転車にのった 子供が通り過ぎる。むくろさま、また、彼女の声がゆれる。 目の前には薔薇色の空がまるで重厚な音色のように、うつくしく…、 そして突風のように彼の目の奥深くへと突き刺さってきたから、キンと急な頭痛がしてきた。 世界はなんて美しいのだろう。いたい…、そう漏らさずただ額を片手で押さえる。顔の半分を覆うように。 するりと前髪がゆれた。 頭蓋がミシリと鳴っているような錯覚に思わず口許が皮肉気にゆるまってくる、途端ドロリと心の奥底の何かがひしゃげて澱む。 ぼくはいくにちもねむっていないのかもしれない。 頭蓋骨がミシミシと鳴る、けれども眼の前の世界は薔薇色で生命の色のように輝きひとときとして目が離せない、 離さないでと訴えてくる、…いやだ、ぎゅっと目を瞑り冷酷な闇に犯されろと唸る。いまさらだ。いまさら、それで、 なんとなるというのだ…!!骸はこんな情景の中に刹那として居たくなどなかった、けれどもこれが 世界なのだと、これが世界だろうともう知ってしまった。むくろさま、またなりひびく声。 こんなに自分は弱かっただろうか、意識は意志も、こんなにも、こんな儚いものだったのだろうか…、 目隠しをされていたか。欺かれていたのか…。 掻き毟りたかった衝動がほんの少しやわらいだような気がした。

世界は美しい…。
(君は残酷だからといった。)

















君の願いを何だって叶えよう。
そういった骸を前に綱吉はポカンと口も目もまんまるくして呆けてしまった。あったまいたいなー。 という言葉を閉じ込めるようにぱくん、とまず口を閉じた。続いてグリグリとこめかみを揉み解す。 お前が俺の願いをきいたことなんかまったくないよなあ…。かなり手痛い思い出たちがぐるぐると綱吉の 脳裏を巡っていく。どんなに必死に願ったって絶対に叶えなかったくせに!それなのにそれなのに…、それなのに そういうことをけろっと言い出さないで欲しい…。切実だ。かなり気持ち悪い。骸はまったく笑っていないのだから これはもう悪夢としかいいようがない。
なぜ。
綱吉がどうしてそんなこと言い出したのかと真意を問い質そうとした先はあっさりと奪われる。骸が口付けた。 ちゅっと軽く。頬にも額にも鼻の上にも瞼の上にもまるで花びらでも降らすように。さらさらと骸の冷たく渇いた 口唇は綱吉の顔のすべてをかすめていった。

「……君が死なない為の呪いなんて、もうそれしかないじゃないですか」

綱吉はマフィアになる。もっとも醜悪な世界の蟲の王になる。骸にはそれしかできない。 綱吉の両肩に手を置き、彼はちいさな額に自らの額を静かにあわせた。















(…骸様は、ボスが)

骸は日本にいた。並盛の町に。彼は河原の土手にしっかり二本の足で立ち眼の前の夕暮れを厳しい眼差しで 見据えていた。世界は真っ赤だ。骸様がいる世界はどんなところですか。そう訪ねた時に彼はそっと 髑髏の目を塞ぎ、ゆっくりと手離した。血に濡れた炎の色にそまった空が眼の前にはあり、 背後に立った骸はこういう感じでしょうねと囁きながらやさしく微笑んでいた。 その夕暮れと寸分違わぬ空が今眼の端から端までを染めている。髑髏は烈しく動揺した。ゴクリと喉を鳴らし、 どうしてこんなに空が赤いのだろうとうっすら怖くなりながらも不思議な切なさと甘い悲しみに心が揺れた。
薔薇色。
そう、彼はささやいたのだから。












「骸、歌をうたって」
(弔いの鐘が鳴る。)












僕は死ぬということが本当に恐ろしいものだと知っていました。 何度として死んだ僕がいうのですから此れは本当のことです。一切の情などありません。 君が怖がるから僕が見たり聞いたり感じた恐ろしい目は言わないでおきますよ。 でも覚えていてください。死ぬということはとても惨めなことですから、本当にそれだけは忘れないでくださいね。


「そりゃお前、ロクなことしなかったからだろ?」

ズバッと綱吉は言いきって骸の顔面目掛けて枕を投げつけた。夜這いにくんな変態!

















「ねー、骸!なんか歌うたってよ」
「急なお願いですねえ、なにがいいですか?」
「ばら色の人生」
「エディット・ピアフのですか?」
「多分」
「……しらないんですね」
「うん」
「僕も知らないので歌えませんよ」
「じゃあこの前のアニメのでいいよ」
「……………………」

ガツン!!骸は綱吉の後ろ頭を拳で殴ってやった。…かるく。それに綱吉は星を見たのだが、でもこれくらいで よかったのかもしれない。目の端に涙は滲んだのだから。弔いの鐘がまた鳴る。いつかは、そう 考えてしまう思考回路を骸は知っているのだから。骸もまた、きみのねがいは、そう胸中で呟く。 ぐらぐらと暗い底を覗き込むような心地になりそうになる、 けれどもそれが何処か満たされた気分をほんの一雫もたらしてくるのだから何とも奇妙で甘くせつなく、 ふっと口許が自然と笑みを刻んでしまっていた。

「うーわーー!!空って本当に真っ赤じゃんか!なんていうか…、薔薇色って感じだよなあ骸?」

弔いの鐘が鳴る。彼の部下がまた死んだ。彼はもう動じない。…そう見せるのが上手になった。 綱吉がくるっとまわって骸を振り返る。おくれてぱらりと舞った長い後ろ髪の先が朱金に輝きとても美しかった。 骸の背後も綱吉の背後も真っ赤で重厚な色で、まだ堕ちない太陽が金色の光をうっすらと振り撒いている。 風がびゅうびゅうと吹いて雲を押していく、深い緑がざわざわと揺れる、影は黒く伸びて綱吉の影などは骸の半身を覆った。
艶めき黒々とした髪のせいか真っ白な肌の骸の顔はまっくらな中でも不思議なほどにくっきり浮かび上がる。 日本人離れした顔。きちんと丁寧に整えられた顔のなか一番の印象で輝く瞳がゆっくりとゆるまり、 そしてそっと伏せて白い肌に細かな影を落とす。長い睫毛。鋭利な美貌だった。鋭角気味な顎のライン。 そっとなめらかに口許が蕩けるような笑みを浮かべた。

「君がいる世界の方が美しいですよ」
























『そっか。ひとって殺されなくたって死ぬんだ……。』























凪。ちいさく、ひっそりと。彼の声から懐かしくも甘く哀しい旋律が紡がれた。何もかも白い部屋の中に 彼もそっとゆるやかに溶け込みながらも、けれども強い微笑みでそれを塗り返しながら、綱吉が細い腕を髑髏へと 伸ばした。部屋の中はとても静かだ。コポコポという水音に気付かなければ時が止まっているようにさえ 感じただろう。静かだ。…そうね、ここは。髑髏は膝をつき恭しく綱吉の手をとりながら出来るだけ 満足気に微笑んでみせた。青い管のからまる白い腕。パキリと折れてしまいそうな小枝みたいな指たち。いとしい…。 本当にふたりだけの時に彼は髑髏の本当の名前を呼んでくれた。それは髑髏のちいさな願い。

「今日は少しだけ調子がいいんだ」
「そう…」

よかったわね、ボス。笑顔の背面で死期が延びたわけではないのだろうと気付きながら。 これは…、ただ、…きっと近付いた意味なのかもしれない。伏せそうになる瞼をぐっと持ち上げ、髑髏はふっと白くなる 唇を持ち上げる。そんなこと彼がわからないわけないもの。 もう二度と逢えなくなるの。……遠い昔のおじいちゃんを亡くしたことを不思議と思い出した。 同じ死なのにどうしてこんなにも違い過ぎるのだろう…。 死。 それだけで区切ればこんな平等なことなどないというのに。
くやしい。

「泣いていいよ。だって凪は女の子だから、いいんだよ」
「……女の涙は苦手って」
「耐えられる方がもっと苦手」

神様はなんて不公平なんだろうと何であんたが作った世界に居なくちゃならないの!!髑髏は凶暴な 衝動に躯を震わせた。
………きっと、漏れるのは獣の咆哮。骸様と少しおなじ色の。












ピンと張り詰めたような青だった。冬の空はそうなのかもしれない。高くたかく…、澄んだ空気が世界を 覆っている気分になる。夜になど麗しい藍色だ、闇色とは似ても似つかない星の瞬きがまた美しい麗しい空。 素敵な世界だ、そう刹那だけ思える。緋色の世界を忘れられる。

(ほんとうに…、大空は何にだって染まる。そして、)

その次の言葉は綴れなかった。

























死とは恐ろしい。陰湿で醜悪なものだと思っていた。暗く澱んだ暗鬱な孤独な場所であると絶望しながら。 恐ろしいと、惨めだと。ひどく臭く、潰れた芋虫みたいに、激痛にのたうちまわる無様な女も男も老いも若きも ぐちゃりとひしゃげて蔑まれ嘲笑われるものだと。


……弔いの鐘が鳴る。

誰もが頭を垂れ敬意を払う。何処までも突き抜けるような青い空、まるで宝石のような輝きだ。 緑は祝福のように青々と茂り彼に捧げた花々が誇らしげに甘い芳香をひっそりと上品に匂わす。
ねむっているようね。髑髏が微笑みながらほろりと涙をこぼした。まるで真珠の粒。柔らかくあたたかい。
なにもかもが驚くほどに穏やかで清らかに澄みわたっていた。まるで光の庭。 一途で懸命で水晶のような透明さを宿した彼が眠るにふさわしい…。
潔く。
一片の濁りもない。


(歌を…、うたってあげればよかった。)


ざああっと風が吹いて骸の長い黒髪を飛ばす。白い鳩が一斉に空を飛び去っていった。遠くで 人々のはしゃぐ声。はなびら。ガラスの棺の中に彼。あとでこっそり盗み出して燃やさなければ、 そして灰を日本にと彼が…、あの白い部屋で骸にこっそりと彼が。(そう、僕は君の願いはなんだって…、)


「うたを……、」







きみがほほえんだ。
あの薔薇色の世界で君にくちづけをして。























「……君は、いつだって僕の望まない覚悟ばかりを瞳に宿してそうして最期までとうとう…。

            だから呪っていたのに、君が死なないように、生き汚く在れと、






                                              君が僕を呪わないように…、」



薔薇色の空の下、さらさらと灰は金色の色で舞い散った。
こわくないよ、骸の脳裏には綱吉が最期にうたってくれた子守唄が。


(終)











 アトガキ
ツナヒバの日なんですけどね。(内容に関係ありませんよからすまるさん!)
2007/1/8