君がとおくにいってしまっても、僕は相変わらず君を想っては散々だと零すのだろう。











夏と海と向日葵と君と涙は












夏の初めに見た大輪の花がさっと何故か脳裏をよぎった。そうして刹那の瞬きの中をカッと 甦るのは、目の奥まで痛くなるような真っ青な空が業の深い女の横顔のようだった、なんとも痛烈な情景である。 何故其れを今想うのか、応えとして、其れはきっと季節外れの蝉の声だろうと気付いた。 微かに、高く、其れはまるで郷愁を歌うような声だったから、 ……そう思い至り奇妙な矛盾を感じ郷愁とは何者の名だと おもしろおかしく苦笑が口の端に昇ってきたのだが。背中は夏の陽を思い出しじわりと焼け付く錯覚を引き起こしている。
ヒバリは此の町で生まれた、故郷は此処だというのに何を思えと、何を思い描けというのだろうか。 大分暑さの薄れた風が開けられたままの窓から入り、炙られた砂のような匂いのする生ぬるさがさらりと前髪を飛ばした。
誰もいない。
じんわりと背中は冷静さを取り戻す。 ヒバリは遠くの景色を眺めるような、隙間なく辺りの気配を伺うような様でふっと後ろを振り仰いでいた。 ……ああ、やはりと。苦々しい。遠くではひとの声がしても、グランドの奥から土の匂いまでしてきそうな はしゃいだ声が聞こえてきても。蝉の声。もう夏は過ぎていくのだ。二度とは戻らない。 ひと刹那だけだとしても決して其れでさえも永遠に戻りはしないのだ。
背後はがらりと煤けた校舎の内側。 赤い夕陽と黒くのびた影が交錯する、それだけを 聞くと不吉な色合いとも想うのだが、実際に目にすると何とも不思議なものだ。 雲雀はするりと足音なく校舎の長い廊下を渡っていく。誰もいないのだろう。遠くの、グランドの端からの 部活の終えた輩たちの賑わいの声は段々と捉え難くなってきていた。 波がひいていくように、じきにさあっと静かになるのだろう。
ほの赤い光の影は真黒く伸びて茫洋とする。ぶわりとぶわりと徐々に広がる重苦しさは もう直なのだと告げているのだ。夜の帳は口を開けて、翼を広げて、お前の上に降るのだと。
この今踏む生温かい色の朱の道も夜の帳と共に暗く沈み食まれる。 そしてまた何ともない顔でましろく鈍い色にぬられ吐き出され。……日々とはこういうものの連なりなのか。

「……僕は、多分」

ぶん、と腕を振るえば空気は裂けるのだと、裂けていればいいのにと、雲雀はトンファーを振るった。銀の艶は 朱色に染まってつるりとした表面を黄金にも見せた。赤く溶けた金色だ。その生ぬるい色で何が裂けるのだろうか。 雲雀の胸に灯ったまるい瞳も煌きだけは一層強かったが、その強さが何に役立つのか何の為に引き摺り出され 存在するのか、苦々しい気持ちがぶるりと腕を震わせる。
逆光だった。それでも瞳だけが金にも琥珀にも輝きゆうるりと鈍くわらった。彼の背後には波が在った。 ザン、と重たい音色がどっしりと潮風に乗り込み、全ての雑音を集約しそうだった。雑音に。 だから少年の域の声はすうっと届いたのだろう。世界は雑音に包まれていた。曲がりくねった音は 無差別で、まとわりつくのだ蛇のように。 だから彼の声は驚く程にすっと真っ直ぐに花開くように響いた。 彼は自分の声の、ぱたぱたと雑音を撃ち落とす威力を持つ事知らずに雑音の中ではと尚強い声で 言葉を紡ぐのだから。

『…ヒバリさん、俺』
「今この瞬間に君が泣いてたら僕はどれだけスッとするのだろうね…?」

雑音がまたこの身を蝕もうとしている。醜く蛇がわらう。君の背後では向日葵が揺れた。 涙零してもう泣かないと言った君は本当に今此の瞬間にさえ泣いていないのか、其れは本当なのだろうか。 海を見に行った時は決意を秘めて強く、唇は細く震え、其の少し前の夏の始まりの時は瞳は涙に濡れ光り。 戸惑いの背中を向日葵が覆った。その花はもう枯れた。海の上を飛び越え彼はまっすぐな背で立ち向かった。 あの海を共に見た日と夏の始まりの間でどれだけの涙が零れたのだろう。もう泣くまいといった。

『いきます』
「泣いてなよ、本当に。ずっとずっと泣いてて、…………ああ、散々だねもう」


泣くもんじゃないよ綱吉といった口で漏らす後悔は何故こんなにも苦いのだろうか。
いっそ、本当に絶対に泣いてなくて、泣いてもいいっていったら泣けばいいのだ彼は。

「散々だね本当に」

ガン、と。誰もいない薄暗い校舎内に冷たく響く、真っ赤な防火扉は突然の暴挙に甲高い悲鳴をあげたが、犯人が独裁者とあっては 、……ああ、散々なことだ、暴君の零すその言葉こそ被害こうむった其れに相応しかったのだが。

トンファーをガンガン振り回し、今更気付いた事実に雲雀は舌打ちし、やはりまた散々だと呟いた。
あんな可愛いいきものは他になかったのだ。






(終)











 アトガキ
青春のようないちシーンを目指してみた。
2006/02/22