然して広くはない部屋の一角に置かれた革張りソファの上で、深い藍色の髪の男が手にしているのは、やや軽めの赤みがかった琥珀色。部屋に漂う香りは僅かに甘く、ヴァニラの香が混じる。 襟元まできっちりとボタンが留められ、上質のシルクを使ったネクタイも締められているというのに、男の様子はどこかしどけない。錦を織り成すように、その薄い両肩や果ては背凭れに広がる綾紐のような長い髪の所為だろうか。 「うっわ…骸さん、真ッ昼間っから酒盛りスか」 「……『EARLY TIMES』、お好きですね…」 ノックもなく部屋の扉を開けた二人の青年のうち片方は煽る様に、残る片方は半ば呆れた様に述べた。 そのどちらの発言もが骸の神経にチリリと障ったけれど、だが、骸はどちらの言葉にも反応を見せる事はなかった。向けかけた視線さえ途中で止まり、再びテーブルの上へと引き戻される。 躊躇いなく向けられるのは唯、一通の手紙へとその意識を向けるときだけで。 「…昨日からずっと……飲み続けていらっしゃったんですか?」 千種のする事実確認の声が幽かに苦みばしったものであることを聴覚が捉えると、まるで彼との逢瀬を邪魔されたようにも感じて、ちょうど中身の空いたグラスを声のした方に向かって投げ遣る。「投げつける」と言うにはあまりに緩く宙に弧を描いたその透明な曲線は、忠実な彼の部下の掌を濡らしただけで、僅かな音と共に受け止められている。 「犬。同じものを」 「はーい。イエローラベルっスよね」 骸の前に広がるテーブルの上の酒瓶は、彼の性格を現しているのか、そこそこ整頓されてはいたものの、一目で把握する事が出来る数を超えていた。 こっそりと溜息を吐く千種も、部屋を出た途端不機嫌な表情を隠さない犬も骸のこの所業の原因は分かっている。 ――― 全て、昨日届いた手紙の所為だ。 今はもう開封されたそれは、ただの普通の封筒にしか見えない。 大切なのは、その中身に書かれていた内容だ。……そしてその差出人が。 (ボンゴレ10代目……) 彼は、骸がこんな風になってしまうことを知っていたのだろうか。知っていて最後の最後に手紙なんぞを寄越したのだろうか。 千種には、手紙が在る所為でこうなったのか、それとも手紙が在ったとしてもこうなることを避けられなかったのか判断がつかなかった。 そう…黒曜に居た頃、およそ10年ほど前のあの頃ならば単純に綱吉を憎んだだろう。 けれど骸に付き従うことで綱吉との付き合いも自然長くなった今では、己の胸までも痛んでいるのを自覚している。 そしてまた、自分たちの主が、自分たちとは違う意味で彼の死を悼んでいる事も知っていた。 呆けたように、と表現するには骸は死を知りすぎている。 何処か虚ろな視線は、けれど生気を失ってはいない。 きっとだからこそ辛いのだ。 彼がもっと心弱く、浅はかであれば、後を追うなりしてでも己を慰める事が出来ただろうに……。 赤みのある琥珀色。 仄かに香る甘い匂い。 口当たりの良さに反して酷く人を酔わせる、その強さ。 何を想って、骸がこの酒を煽り続けているのか。 手持ち無沙汰になってしまった骸は、手遊びに長く伸ばされた己の髪を指に絡めていた。 あの柔らかい栗色の髪とは似ても似つかない、けれど彼が好きだと言ったからこんな長さまで伸ばしてきた。邪魔だと思うことも無かった訳ではないけれど、揺れて視界に入る度、褒めてくれるあの傲慢で優しげな微笑みが思い出された。 「…千種……」 「はい」 「髪……切ってしまいましょうか」 「…………」 「綱吉君が居ないのなら、こんなに長いのも邪魔なだけですし」 「…………」 「鋏、持ってきてください」 「……骸様」 指に絡めた髪を、不意に強く握り締めた手がまるで引き千切ろうかとするように力一杯引かれた。陰る目元が急速に不安を募らせて、けれど骸から放たれる殺気が千種の両足を床に縫い付けている。 「…………もう生き疲れたんですよ、僕は……」 搾り出すような声が枯れ果てた涙を訴えるように零れて、酒の力を借りてさえ何の慰めにもならない今の骸を矮小に見せていた。 一度カーテンによって陽射しの緩められた朝日に照らし出されてさえ、彼の前身から放たれる無への渇望は打ち消される事はない。 死者を冒涜するつもりはないが、それでも「あの男」に向かって内心だけで呪いの言葉を叩きつける。 無責任な希望を与えるから、望む事すら手放していた愛情なんかを気まぐれに与えたりするから、遺された骸がこんなにも苦しんでいるのに。 まるで魂が悲鳴をあげているようにさえ感じる骸の無表情の傍らで、眉間に酷い皺を寄せた千種の方が涙を零した。 「千種?」 「彼の神さまを返してくれ」と心底請い願ったのは、その時だったか。 骸の座るソファの肘掛に縋りつくようにして崩れ落ちた。 「柿ピー……」 戻ってきたのだろう犬の声も悲痛さを帯びていて、もしもこの場に第三者があれば、この状況の可笑しさに首を捻るだろう。 飼い主に先立たれた愛人は涙一つ零さず、気が触れることも出来ずに居るのに、その傍らでその彼の部下達が彼の心境を慮って泣き崩れている。 どれもこれも全て、アナタの所為だ。 ――― ボンゴレ、10代目。 千種を心配して伸ばされた骸の指が、その時、大きくピクンと跳ねた。 深い藍色の瞳が、見開かれる。 「…………ボンゴレ…??」 薄く開かれた唇から零れたのは、この元凶の男の名。 「ボンゴレ……綱吉君の、気配が…します。世界の中に…」 ありえないと骸自身が思っているのは、その震える唇が何よりの証だった。 けれど、骸が、生命活動に関しての事象を間違えるはずもないのだ。 だから。 それは、つまり。 「っ……ッ千種!! 犬!!」 喉から迸る声は力強く。 頭を上げたその目は強く、遠くを見つめる。 「探しに、行きますよ」 神さま 神さま アンタは いま どこにいる 世界を統べる 支配者よ 「…骸様が、アンタをお呼びだ」 2007.06.09 ****** 後書き: 千種視点、ツナ骸でした。 どうやら(約)10年後に呼ばれたのはリボーンに次いで綱吉だったようなので、入れ替わる前の10年後骸様がボンゴレ10代目の死を嘆いてたらこんなかなぁと。 ホントは、この後の *** 「クフフ…出会った頃の綱吉君に抱いて貰うのも一興です」 「…骸様、それは犯罪では」 「中学生を抱くのならともかく、抱かれるのは僕なんですから問題ありません」 「つーか俺ら、端から法なんて守ってねーじゃん、柿ピー」 *** とかを考えてたんですけど、雰囲気ぶち壊しになりそうなのでやめときます(笑)。 |