※『ハローダークネス』サンプル





きっと俺の絶望にはお前の愛が絶えない。














まるで殴りつけたい鋭利な衝動がすっかり尖りを失って枯れ落ちてしまったみたいに綱吉の心は必要以上に空虚に満ちて蔑むようにぽとっと口から心底呆れきった溜息が漏れ出たのだ。
綱吉は平和主義者だ。平穏をこよなく愛する為、感情が尖れば尖っただけ冷静に冷徹を演じることを強いる仕組みになっているようで、…チッと舌打ちしながら動揺と残忍な感情にひらりと翻りそうな憤怒の感情についてギリギリとブレーキを踏み込み…よろよろと額に手を当てて必死に耐えた。
感情の奔流をセーブする。
どういうことだろうかとヤケクソで笑い出したい衝動もぐるぐる抑え込んで、細く息を吐きながら冷静に冷静にと呪うように繰り返す。
…そうして掌を落とす頃にはきついアルコールを一気に煽った時の喉元を焼く感触が冷たく染みてまるで泣き出した後みたいな感触に寒気がするが…、ようやっと跳ね返りうねった感情を押さえた後なのだから鳥肌立てる気力など到底なく重力に従うようガクリと項垂れて鼻からふっと憂鬱な息が逃げた。ほんとうに。
どうしようもない人だよ。
脳内において拳が壁にめり込んでいた。本当にもうどうしようもない気持ちが淡々と次から次へと沸き出てぐらつかせる、心の中がまるで沼地だ。とんでもない疲労感も伴って冷たい脱力感が渇いた喉を潤す水のようにすらすら染みこんでいく…、なんだかなあと憎々しく遠い目になってはっきり嘆息した綱吉はのろりと顔をあげて折角飛行機の中で綺麗な形に整えた筈の覚悟を無残にぐしゃっと握り潰していた。バンッと乱暴に扉を開く。
室内で猫科の肉食動物の尻尾がひょこっと動いた。部屋の外から感じていた綱吉の気配にいつ入ってくるのかうずうずしていたらしくグルルと機嫌よく喉を鳴らし、ぴょんと立ち上がるとツカツカ部屋の真ん中を進む綱吉の後ろをトテトテついていった、子供の頃からよく知る彼が、執務机越しに主人のネクタイをぐいっと引っ張り上げるのをきょとんと見つめた。
「?」
といっても、苛立った綱吉に乱暴さはなかった。視線はドロドロと生温い温度に浸され口の端は疲労感たっぷりにひくつきながら暗く持ち上がり感情を抑え込むことに腐心し尽くしているのだから大した力は籠められず、そうして不思議そうにネクタイを取られた男が綱吉の意思を感じて子供のように首を上向けた。痛いとも、何をするんだとも、言わずに珊瑚色の唇は微動だにしない。さらりと金色の横髪が流れた。
「………なぁにやってんの?」
馬鹿じゃないか、こいつ。その一言につきる呆れた悪意をたっぷり湿らせた言葉は思いのほかきちんとした輪郭をもって威圧的に低くて、これじゃあ叱りつけてるみたいだ、すごく心配してるみたいで男の動じない顔よりもそっちに綱吉はグッと羞恥のように腹の底が焼ける熱い痛みが走ってしまった。
断じてそうじゃない!強く言い切ってもその言葉は確かに心配からでもあり…、ギリギリと歯噛みした綱吉はこの感情の複雑さこそ伝えたいと。確かに心配もある、確かにだ。
ぐっと拳を握った。
憤怒も。様々な感情は交錯している。十年ぶりの再会でもあるから尚のこと消耗させる感情が困惑を潜らせ威力を振るう。
また綱吉の疲れ切った心の在り処である彼はそんなものに全くたじろかず、むしろ美しいマネキンのように静かについっと顎を持ち上げ綱吉を無機質にじぃっと凝視してくるのだ。
透明な光に照らされた薄い色彩は薄氷のような怜悧な輝きを放ってますます男の滑らかな肌の温度を吸い上げてたっぷりと磁器のような真白く人でなしな滑らかさを華やかに上塗っていく。その姿はゾクリとさせる、また綱吉に何故か無慈悲という三文字を頭の中産みつけて眼差しを強情に険しくさせてしまう。ぐっと鼻の頭に皺でも寄っていきそうな苛立たしさが虚しさへと上書きされる気分は気持ちのいいものじゃない。冷たくなる。
すいっと彼の白い指先が持ち上がるとそっと、的確に人差し指と親指が綱吉の顎先を軽くとらえた。
「…美しい、影みたいだなぁお前は」
「は?」
「暗闇をぼんやりとぬるく薄めていく…ああ、ぽっかりと穴が開いたみたいで、吸い込まれそうだよ?」
「…う、ぅん?」
さらさらとまるで星の囁きのような声が清らかに空気を滑っていく。綱吉の抱く感情の冷たい棘を掃くように。あんまりにもぼんやり優しい声で、そうして綱吉の中ぽっかりと明るい方向の衝動が産まれるのだ。脱力という。いつもの通りだなと。しゅるんと掌からネクタイが滑り落ちて行く。
そうだ、昔からこのひとに綱吉の言葉がきちんと通った試しなんかないのだった。
「光があるから影があるんだ。お前は俺にとっては影だ。遠くに見えるばかりだなあ…」
「じーちゃん…?」
緩慢な仕草で綱吉の頬をぬるりと家康の指が滑った。顎下を通って、まるで猫のご機嫌をうかがうようにするする滑らせるとその指はふっと家康の唇の上に着地した。
ニコリと笑った。この世の美しいもの全部煮詰めたみたいなドロリと恐ろしい眼差しで気高く。薔薇の園で笑う美しい蛇のように、…けれどもちょうど力を無くしていた綱吉はざわつく心を持ち合わせないままじいっと顔を寄せて其れをまじまじと覗き込んでいた、ああ煮詰めると…変質するのか?綱吉は眉尻を下げて凄まじい瞳の色だと、そうしみじみ思いついたら途端なんだかまるで『あの日』と同じ色をしているようだと漠然と思って…。
ぱしゃんと水が跳ねたように目が覚めた。
ああ、そっか。なんて。
訳知り顔だけぽつんと強くなった。
















以上サンプルでした!