あなたが死んだ、そのひとつを知らされた時でもやはりまず思ったことは、…ああ、五月蝿いと。
(ピタリと止んだ筈の蝉の声が突然に土砂降りの雨のように一斉に騒ぎ始めたのだ。)
ジリジリと世界を焼き尽くす勢いの季節の真ん中にいる錯覚の中、その世界を揺るがす声が何かの慟哭のように聞こえた。

(笑顔で、君は…、ああ笑顔じゃあなかったけれど、でも確かにあなたは笑顔でいってくれたのでしょう…?)

『また。』
(胸の奥で約束が燃える。ひらひらと虫のように、また灰のように、炎の向こうであなたの声が。)






どうか魂までも






涙ひとつなく、ただ、ただ…、古泉は項垂れた。頭痛を堪えるように額を抑え、絶望のようにまるまった背中の向こうでは空は青く、どこまでも真っ白く青く。冷静な色でありながらも尖った 肩甲骨の浮かぶ真っ白なシャツを焦がしそうな勢いの灼熱の暑さをも伴っているのだ。夏だ。樹木の落とす影は真っ黒く 地表に張り付いていた。空気にぬるりと汗が溶ける。生温い風が 蝉の声と、どこかではしゃいだ子供の声を運んでくる。……不思議だ。いいや、いいや。 実際は晴れ晴れとした平和な昼下がりなのだ。夏らしく、暑く。 地獄にはまるで届かない。どこかだるそうな空気がほんの少し漂う世界。だれた気配に満たされた住宅街。

「そう、」

心象の為せる業とは恐ろしいと、改めて思う。
日よけの為にカーテンの引かれた部屋は物が少なく、べランダを背にして古泉は機関からの報告を受け取った。 逆光の中で彼の白い肌がぼんやりと汗をたらす。影の中で煌くのは不思議な色の白目の部分。

「……そう、ですか」

少しだけ頭を持ち上げ、秀麗な顔は微妙な色で微笑むと両手でゆっくりとその顔を覆い…、そうですか、もう一度 淡々と呟いた。
まるでちいさな劇場のようだ、報告をした男は思う。彼は『神』の為に演じる者であった。 真意をもらしているのか虚言の響きなのかも曖昧な声で彼はぽとりと夏の暑さに負けたように言葉を零すのだから。

「そういうことだ」

報告書をそっと近くのテーブルの上に置き、男は渇いた声で言葉をかける。
『彼』が『神』にとってどのような存在であるかは、上層部と同じ意見のことしか持ち合わせていない。
彼は神にとって『特別』である。
この報告は、この事実は、何らかの形で必ず今日中に彼女の元にも届くだろう…。
世界は終る。
……もしくは改変か。
改変だろう。男はふうと溜息をひとつ零すと襟元を正した。目の前の少年はまだ両手で顔を覆ったままであった。 そうであってもすすり泣く声も嗚咽をこらえる声もまったくさせない、…本当にただただ、かくれんぼの鬼を 演じているのではと思えるほどに稚拙でちいさな姿である。彼は演じるもの。それがまたぼんやりと思い浮かぶ。 指先まで白く石膏のように綺麗な形の男。…人形のようだ。その首筋に汗が流れていたことさえ忘れそうなほどに儚い 現実感をまとう。常に優しく笑う少年。神の為に用意された人間…。人間だ。人間なのに、 悲しむことも侭ならないのか。己を律し過ぎた姿か。一瞬だけ憐れむ目を向けると男はくるりと少年に背を向けた。 死んだ『彼』とは友人であっただろう、ただ一人の。偽りの中とはいえ。笑うことを本当の意味で知った少年。 悲しむがいい。涙をと願う。男は静かに部屋を辞した。







「………ぁ、」




世界は改変されるだろう。
古泉の中でその答えが完璧なまでに思い描かれる。
ただ、その中に『彼』は居ない事は確かだった。


「…せ めて、弔いを」

長門有希に頼めないものか。少しでも、情報の伝達を遅らせられないか。
これから現れる『彼』に魂はない。彼としてのものを取りこぼした存在が生まれる。 幾ら神であっても死したものを甦らせることなど不可能だと古泉は考える。実際彼女に過去に遡る能力はなく、それは 『創造する』というものだ。創造。亡くしたものを甦らせる方法ではない。創造するのだ、きっと『彼』を。 それも自分に都合良く。 (彼は彼女にとって都合の良い存在ではなかった。)
世界は終る。
彼女の道徳観念は何かを超越したものではない。死したものを甦らせる…、いいや、創造したことに 何か絶望するのだろう。人間を創り上げた。そのことに莫大な後悔をする。彼は死んだ。その事実に狂うかもしれない。
(そう、かのじょはやさしいひとだ。)















「……でも、それでも『また。』逢いたいんですよかみさま……」

魂などなくても彼の心はこの胸に抱えてるつもりだ(ああ、でも…ほんとうはほんとうは)





2007/08/18