『雰囲気的な5つの詞(ことば):淡 <faint>』   title by "loca"

01.曖昧な優しさの
               

02.あたたかく静かな
               

03.半透明の未来へ
               

04.灯火の影の向こうに
               

05.あの朝に似ている
               











2009月〜 拍手にて公開。加筆修正を少々。



































































01.曖昧な優しさの


空白があった。
ぬっと伸びた祖父の腕がいざ綱吉の髪を撫ぜようとする瞬間はいつだって小さくぽとりと落ちていく。
ほんの些細なことだった、しかしそれは慣れない子供に触れようとする躊躇いというにはまるで色の違う悲しみや恐怖を帯びた奥深い何かを舐めて…まるで酷い悪夢を見た後みたいな言葉で言い表せない動揺を呑み込んだものなのだ。
そうして次の瞬間にひらりと彼の足元でなにかが低く泳ぐのを綱吉は見る。すらりとした黒いひれのようなそれがほんの僅か瞬いて消えるのが小さな綱吉の目線の先で起こって、けれども率直にその疑問を口に出すよりも先に本能がむくりと働いて、ああ、なんだか悲しいことなんだなあと勘付いてしまったのできっとひとには絶対言ってはいけないものだと恐ろしいくらい悟って口を噤んできた。
子供は過敏過ぎる。
祖父の冷たい手のひらが近付くたびに見る幻影に意味を見つけるのは数年してからだった。あんまりにも僅かでちょっとしたズレみたいな空白に滑り込んだソレ。あれ?と感じたら手はもう髪の中にもぐった。綱吉が見上げた時には家康は無邪気に微笑み、やーらかいクセッ毛だとからかい慈しんだ。なので、綱吉も心の中でぽっかりとしたなにかを抱えながらも笑い返す。さらさらと触れる手は冷たく大きく、寂しいねとうたうようで、…いいや寂しいねとうたうから綱吉は悲しくないように目を細め笑ってぶっきらぼうにぺちんとその頬をたたいた。
空白。すこしの躊躇い。…距離。
それがとても寂しくて平気じゃなかったなんて言えば少し嘘になる、なんとなく彼の戸惑いもわかる気がしたし、…わかりたくもなかったが知らない振りをすることがきっとお互いの為になるような気もした。お互いわかりながら無視してまったく共犯者だ。綱吉は家康の躊躇いに淡く微笑む。ごめんね。わからなかったんだよ。
わかりたくないよ。

触れてもいいよ。よごれないよ。






































02.あたたかく静かな


「おっまえ!いつ見てもほんとーに澱んだ泥みたいなあぐちゃっとした顔だなあ…、大丈夫かよ骸ちゃん」
「………………第一声が、それですか」

なんだろうこの高血圧なひと。プライドが頑丈な骸は家康の陽気な罵声に最初はそう流していたが今ではまったく耐えられない。
そうですか。ソウデスカ。骸はどばっと黒いもやもやを背後に背負いながらひくりと口元を僅かに歪ませ、このキンキラ輝く金髪のやけに生命力溢れた生き物と対峙することに鳥肌立つほどの嫌悪でいっぱいになっている。なんだよー骸くん元気なあーーい★とかいってキャハッと女子高生のようなしなった身振りで笑うからさらにイラッとくる。イラッと。
骸は現在沢田家のご隠居宅まで守護者としての責務をまっとうする為、綱吉を迎えにきていたのだ。純和風家屋的なこの屋敷。平屋で広く、ここら一帯の地主かなにかのようなでかい顔した屋敷の前に立って呼び鈴を鳴らしていつもなら五分以内に(時にはそれ以上待つこともあったが、大体五分以内だ)ばたばたと綱吉が出てくるのだ。…だが、今日は綱吉の面差しによく似たご近所さまから『元ヤンのニート』と呼ばれるミラクル若作りご隠居様の沢田家康が呼び鈴を押そうとしたときにぴったりタイミングを合わせたかのようにカラカラ木製の門扉を開けてぬっと現われたのだ。ガリガリ金色の髪を掻き乱し、また起きたままの姿なのかだらしなく胸元を開かせて着崩れた一重の着物姿でふあっと欠伸交じりに骸をじいーっと眺め…、そして前述の台詞となる。
最悪だ。
骸の苦い心情はそれに尽きる。どんどん眉尻は不快気にきつくなる。どうやらこの系統の顔…、この際この性格は置いておき、綱吉といい家康といい、この目玉がぎょろり大きい小顔は漏れなく骸を不快にする為にきっちり存在するのだろう。なんて目印だ。最近骸はそう帰結した。綱吉は臆病で小心者のくせに時々妙に頑固で恐れも無く骸にズバッというわ、家康はにやにやと笑いながら明らかに悪意をもってからかうのだ。最悪だ!!
骸は両腕を組みカツカツ苛立ちを如実に現すように靴先を鳴らしてしまいたかったがこの男の前でそれをやることはまるっきり子供の駄々でしかないのでそこをぐっと我慢して抑揚の無い声で沢田綱吉は、と問う。
「ツナかぁー?まだ飯くってんじゃね?」
「……遅刻ですね」
「いんや、カゼこんこん」
カコーーン、と沢田家ご自慢のししおどしが鳴った。ご自慢なのはそれが家康の手作りだからだ。なんか適当に作ったらしい。綱吉談。
「風邪、ですか…」
黙ってれば思慮深そうな(とろんとした開ききらない目を遠めで見る分はそんな感じ)金色の髪の美青年はコクンと頷く。かぜこんこん。このイタリア人の語彙のボキャブラリには大変目の覚めるものだがまたこの姿に似合わない言葉だとぞっとしながら骸は平坦にそうですかと呟く。風邪か。だからか。
「休ませるってことですね」
「そ」
「…わかりました。今日は護衛役はいりませんね」
「なにが護衛だか。ツナより弱っちい小僧のくせにアホか」
はんっと鼻で哂い顎をそらすように骸を見下す、その目はギラギラと冷たい光に満たされながら火傷しそうな熱気が凝る。ぶわっと威圧感を振りまく金色の目はまるで無感動な爬虫類の目を連想させるが手が届く範囲で睥睨されればそれが生々しい業火がうねる瞳だ。眩しく轟々と命をばっくり飲み込む凶暴な顎門。家康はにまりと笑い、持ち上げた指先でつうっと自分の唇をなぞった。
「醜いがなかなか愛らしいよなあ骸ちゃんはさー。俺が怖いんじゃあツナもさぞ怖いだろうしぃ?…なあ、どうよ?もう死ぬしか救われねえって顔して生きるってのはさぁ、…ふふっ、本当なんて純粋な生き物だろうねえ」
くつくつ愉快そうに笑いながら家康が骸を覗き込む。…といっても家康は門扉の傍から一歩も出ずだらしない格好のままボサボサの頭で骸をみやっているだけだが。だが骸はそうとは思わない。徹底的に叩かれている。あたたかく静かな住宅街はここだけ異質で獣臭い。黴臭い石室だ。骸はぐりっと拳を握り屈辱と抑圧に耐えた。まるで首の後ろを毒牙がぞろりと這うような…。まったく殺す気などなく退屈しのぎに嬲って反応を見たいだけ。子供が無邪気に虫を潰す様なそれだ。この男はいつもそうだ。
綱吉には惜しみなく愛情を振り撒き骸を含めた他人には毒を吐き散らす。最悪な生き物だ。
(沢田綱吉が体調が悪いからって僕に八つ当たりするな外道が…!!!)
地獄に落ちろ。骸はこの老人にいいたいことはそれに尽きる。






































03.半透明の未来へ


「ツナちゃんはじーちゃんのこときらいなんだ…」
ぐすぐすと鼻を鳴らしながら家康は部屋のすみで膝を抱えた。きのこが生えそうなじめっとした一角となっているが、その背中は明らかに構ってオーラが全力で出ているから綱吉はあっさりと無視をする。かまうもんか。こたつでのそのそとまるくなり、ついにこてんと台の上にぺたりと頬をくっつけながら横目で家康を見やる。そこ寒くなーいー?と聞いたら素直にコクンと頷いた。うなじがのぞいた。
「ツナちゃんのばか…。ばか、…でもだいすき。なにこの男の純情っぷり!じーちゃんすごい健気じゃない?」
「黙れ」
「…ツナちゃんツンの後はデレだよ。デレないとじーちゃん病んじゃう…」
ついに畳の上にのの字を書きだした家康。綱吉の目が半目になった。
「もう病んでるからいいよもう。諦めたから」
「ヤンデレに、じーちゃんは、…なる!」
「………………」
どうしようかなー…テレビのボリュームは住み込み家政夫の霧によってきゅっと引き絞られ、妙に柱時計の音がカチコチ響く居間。…そろーっとテレビのリモコンに手を伸ばすがさっと霧に奪われてしまう。ちぇー。拗ねた顔でこそっと霧の方を見上げれば彼は意気揚々と、ファイトです!綱吉さま!!両手をグーにして、それでぐっぐっと腕を二回上下させて霧はにっこりと励ましてくる。えー?やめてそれ。だがわかっているのだ…、この霧という可憐な美青年(綱吉にはそう見えるが綱吉以外の方からの評価はクールで知的な絶世の美青年なのだが…)は家康の大変な熱烈狂信者だ。このファイト!なんて言葉はまさしく綱吉に折れろ!と叫んでいるのだ。呪いたっぷりだ。家康様の為なら喜んで死にます。笑顔ではっきりきっぱりとろけるような恍惚の声音で明言する彼は綱吉の中で未だ生々しい記憶だ。
おかしい。
綱吉はまたどうしようかなーと迷いながら不貞腐れたように唇を突き出しながらしばし黙考する。
「…あ」
「…?」
「世間は逆チョコじゃん。じーちゃんくれればいいじゃんか…」
「そんでホワイトデーくれんのかなツナ??」
反語。
綱吉は乾いた笑いを浮かべて、なんでチョコごときと…脳裏でくそじじい!と叫びながらバレンタインとホワイトデイが大変にくくなった。
じっとり綱吉を見つめる家康の目は拗ねたように愛が欲しいというよりも雄弁に愛して欲しいと厳しく訴える。

たまらなく優越でゾクゾクした。
















































04.灯火の影の向こうに


「悲しみは悲しみだからこそ…涙を流すのだろう?」

こっくりと首を傾げて眠そうに彼はどうでもよさ気にぽつりと呟いた。…いや吐き捨てたのか、二酸化炭素と変わらないものをのたりとはいただけ、息をしたのだ。呼吸をしていた。
それにしては随分と霧の心のもっとも柔らかい部分をそうっと見つけ出しては無邪気で子供のようにざくりと突き刺すようなひどい攻撃だ。悪意はなくただの気まぐれなことは解っているがそれが一番始末に悪い。彼はいつだって霧を玩具のように扱いまた人間の子供のように愛でては大事に醜悪な害意から守ろうともする。
(…そんな矛盾に取れることをして貴方はそんなことを言うのですね)
悲しみは憎しみで拭われはしないのだろう…そんなことはもう霧だとて薄く気付きながら無かったものとしてしまってあるのだ。遥か隅の方にひっそりと捨てた。それを意気揚々とわざわざ見つけなくともと霧は苦く笑い、悲しみはと歌を忘れたカナリヤのように呟いた。
「嘆いているだけなど耐えられない…悲しみが慟哭ならば憎悪にもなりますよ」
「それは痛みだよ。傷つけられたら牙をむく。俺がいってんのは悲しみのことだ」
ったく何でこんな眠いんかなぁ…なんて言いながらうとうと呟き返す。…ひょっとして寝言ですかと霧は言いかけたが彼の目は半目でありながら深淵の暗がりを掠め取った色でぎょろりと霧の気配を伺っている。…威圧感が、静かに霧の中をぐらぐらと揺らした。
(いやこういう時こそ寝てる時ですよね貴方)
心が。
心という名の理性が。

「なあ…、俺はお前の泣き顔がすげぇー見たいんだが、ちょっと泣いてみろよ霧」
「長い前フリで…」
「いや気にもなったんだよ。悲しみは悲しみで涙流して傷つけられた報いは憎悪をもって返せってな。だから最近の若いもんは精神がやーらけえーよ。なにあれ?笑うよー超笑うからなぁー?どうすんのあれ、ちょっといじくったらポキーンて馬鹿じゃねえか。薄まった混濁だ、混沌の最高駄模作ってやつよ、あれ超醜い!」
ぷぷっと噴き出したが彼の背後から轟々と毒にも勝る不機嫌オーラがほとばしる。上機嫌に喜劇役者のように朗々と述べながら彼の内はドロリと暗黒の沼が暗澹と広がり同時にざぶざぶ波立っている。彼は人間の堕落が好きだが心を失ったものが嫌いだ。…以前ヤク漬けの娼婦にびっくりするくらい優しくしたこともある。彼女は彼の愛人として侍り彼を裏切り子を為して消えた。そんな彼女に彼は安穏を与える。手出しするなと厳命し安住の地もひそかに与えていた。彼女は確かに男を愛した、…男は彼女に微かな決意と覚悟を見て育て愛でたのだ。彼は裏切りを怒らず微かに笑い愛娘を見つけたように窓辺でひっそり目を細めた。
「お前も駄作だ。もーちょっとぐちゃぐちゃになってみろよ?泥んこ遊びも出来ない餓鬼なんざ嫌いだよパパは」
「…誰がパパですか。こんなはしゃいだ人から産まれた覚えはありません」
「不機嫌になりやがったよもー…思春期ってやつは盛ってるだけでいいんじゃね?あの年頃ってひとまず女いれば」
「プリーモ」
「…ちっ」
つまらん。ぱたっと目を閉じて男はふて寝に入るようだ。…だがちょいちょいと指先が踊り浮き上がった手が霧を誘う。添い寝しろ。サインはそう告げるが彼は椅子に悠々座っているのだそれで一体どこに寝ろと…。
「膝」
「無理です、犬猫じゃないんですから」
「お前がちいさ」
「知りませんよ!」
「……初い奴め」
ふるりと瞼が揺れゆらりと両目が金の煌めきを溶いて開かれる、蜜のようにぬらりと透明な色。底が見えない金色は霧を見つめて微かに微笑みお前は愛らしいなあと悪意を甘く塗って囁く。
「お前の悲しみが見たい。お前は俺に憎悪だけ抱けよ」
捨てちまえ、感傷など。
ゆらりと甘く、水のように柔らかく微笑むと男は目を閉じた。


殺すなら今だ。
……もしくは泣くなら今なのかその膝で。






































05.あの朝に似ている


冷たい空気が肺の中に入り込み、胸の中がきしりと固い痛みを訴えたが体はシャンとした。背筋が伸びた。朝は静謐だった。誰もいなくて誰も通りかからず綱吉の右手は家康の左手に繋がれていた。家康が怖くないよと雪道をきゅっきゅっと音を鳴らせて歩きながらぽつりと零して綱吉は返事のようにぎゅっと手を握った。…ああ、幼い頃もこうしたなあとぼんやり思い返す。あれは新年の初日の出を見ようと歩いたのだ。綱吉はあのときは短い手足だったから雪道を上手く歩けずしまいにはぐらりと体を傾がせ呆気なくころんだ。しかし家康としっかり手を繋いでいたから、なんとも宙ぶらりんなこけ方だった…。左側だけ埋まったみたいな。右側はちゃんと芯があるみたいで左側がひどくぐでんぐでんになったという…。失敗した泥人形みたいな姿になったのだ。そうして家康が背中におぶってツナはちっちゃいなあとくすくす柔らかく笑っていた。ぽつり、ぽつりと、寒くないか?おなかはすいてない?なんて会話を繰り返し、それは端から見たら仲の良い年の離れた兄弟みたいだったろう。家康はずっと若々しく綱吉はゆっくりと年を重ねた。ヒゲも無くまして皺もまったく無い祖父なんかいやだとおもっていた幼い綱吉はじっと野生の動物のように無言だった。じーちゃんと呼ぶのも恥ずかしかったし大変な抵抗もあったのだ。じーちゃんなんて、呼ぶのは家の中だけだ。その内にじーちゃんが自分のことをじーちゃんとあんまりにも堂々というからじーちゃんと外でもおそるおそる呼ぶようになった。じーちゃんだった。いーちゃんと呼んでもいいと言われたけど、じーちゃんと呼ぼうと思う。じーちゃんだよ。
「じーちゃん…、俺を何処に連れて行くの?」
帰ろう、はやく帰ろうねと繋いだ手が今は綱吉をさらっている。雪道を朝陽が照らし反射してキラキラと空気も光っているようだ。すべてがたまらなく眩しく愛しかった。白い世界。
サンタに憧れた幼い綱吉はその姿を祖父という存在に求めていた…そう理解した今ではそれはまったくの笑い話だ。サンタはいない。憧れた祖父もいない。ただ綱吉を奪っていく家康がいた。肺から零れる白い息はだんだんと増えていく。
家康がまた怖くないよと呟いた。
どんどん我が家とは反対方向に進む家康の黒いコートの端がひらりと踊るのを見て、綱吉はまるで夜に置いてけぼりにされた暗闇みたいだと強く笑うしかなかった。