集合墓地のヴァンパネラ

 集合墓地に向かったのは最後の賭けだった。
「居た」信じられないように呟いていた。
 土汚れた両手をぶるぶるさせながらも、少年の背中に差し込む。彼は冷たかった。死後、半日は経っているだろう。興奮で視界が明滅する。
 くらくらしながら、首筋に鼻を寄せた。
 土の匂い。他の、腐った死体の臭い。ハゲタカたちが頭上でギャッギャッと喚き立てている。涎が出そうだった。
 口を開ける――、牙が疼いてしようがない。彼の肉体は脆く、すぐに皮膚を突き破れた。全身が総毛立って脳天が白くなる。何て美味しい。夢中でぐびぐびと喉を波立たせていると、不意に――動く気配がした。牙を抜くヒマも惜しくて両目だけを上向かせる。
「…………」
 死体だとばかり思った少年が、魂の抜けた顔でオレを見下ろしていた。愕然としている――けれど、瞳に、感情が無かった。
 ……そんな出会いから、半年が経つ。
「骸! 居る?!」
 ばあん! と、廃墟と化した教会の扉を開ける。
 彼は祭壇の奥にある扉から顔をだした。
「マスター。御用ですか」
 六道骸は牧師の格好をして本を小脇に携えていた。
 黒表紙の分厚い一冊だ。骸は能面のような面持ちで歩み寄る。
 オレこそよほど化け物らしい無表情ぷりだったけど、もう馴れた。親にも孤児院にも捨てられ、自殺しようとしたこの男は、オレがあげた洗礼によって吸血鬼のシモベとして生まれ変わっている。そう、変わっているはず。
「いや……。どうしているかと思って」
「アメリカはいかがでしたか」
 抑揚のない声だ。
 時たま……いや、頻繁に目の焦点が合ってない時があるので吸血鬼であるオレでさえ怖い。そういう時の骸は一秒後には死んでいそうなくらい狂って見える。
「ああ……。一応、居るにはいたけど」
「…………食べました?」
「ううん。そういうヤツって珍しくって。同族に取られた」
「じゃあ何も食べてないんですか」
「そうなる。喉、渇いたよ」
 ちらりと骸を見る。
 また、よくわからない目の色をして骸はオレを見返していた。無言のままで襟首の止め具を外す。
 ぐいっと襟を真横に引いて、首元を曝け出す。
「どうぞ」
 人形のように、ただ呟かれる。
 頷く。ただオレの背丈では骸の首まで届かない。骸が両手を腋下に滑り込ませてくる。持ち上げられると爪先すらも地面から離れた。
 片腕で骸の後頭部にしがみついて、もう片手で背中にしがみつく。そうしながら、白い肌に向けて牙を突き立てた。
 ブツッ。皮膚を食い破る瞬間――、ついで、溢れてくる鮮やかな液体。爪先から頭の裏までが痺れるほどの衝撃がきて、その後に急激な飢えがくる。どこまでも甘美な衝動だった。夢中で血管を巡る体液を飲み干す。
 骸はオレを抱き上げたまま動かなかった。全身を貫くほどの激痛。それが、オレの牙によってもたらされるハズだけれど、オレは骸の悲鳴一つも聞いたことがなかった。
 元々、弱気で、お人好しとか散々陰口を叩かれるオレには、悲鳴もあげない骸のような男が一番似合いなのかもしれない。
「……でも、最終的に同族から逃がしたのはオレなんだけどね」
 牙を引き抜く。骸がオレを抑えた。
 首筋を軽く抑えて、襟首を正す。元々青白かった顔色がさらに青くなったよう見えた。
「そういうことしてると、飢え死にしますよ」
 焦点の合わない瞳で床を見ながら、骸。
「君が死んだら僕も死ぬ」
「お前は……、いざとなったらリボーンのところに」
「マスターの兄ですか」
「あいつもAB型のマイナスを好む。オレみたいに、それしか呑めないとかじゃなくて――。グルメなんだよ」
 血液型にはプラスとマイナスがある。同血種であっても輸血ができないほどに、両者の違いは大きい。
「……僕も死ぬ」
 うわ言のように繰り返して、骸は手中の本を見下ろす。聖書だ。ただし、真ん中に風穴が空いていて、全てのページが血でドス黒く変色していて、読むことは不可能だ。
「ごちそうさま。血、ありがと」
「マスターは頼りない。いつか、死ぬ」
「あのな。決め付けるなよ」
「僕と会った時も飢え死ぬ時だった。あなたは弱い上にお人好しで流されやすい。マスターは死ぬ」
「あのな! 仮にも主人に死ぬ死ぬ言うなっ!」
「…………」不意に骸が瞳の焦点を取り戻した。右が赤、左が青の瞳でオレを振り返る。ドキリとした。
「僕は、心配している」
 それだけを呟いて踵を返す。
 意味のない聖書を小脇に抱えて扉の向こうに消えた。
 よくわからない男だ……。でもオレの眷属でもある。ただ一人、唯一だ。そしてオレが唯一血が飲める人。
 昔、リボーンがここにいた頃は、オレもおこぼれを貰って吸血を済ましていたが。今は一人で生きなくてはならない。骸は必要だった。逃したくない男だ。
「完全に狂ってるけどな……」
 ぺろりと唇を舐める。でも、血が美味しい。最高の味で、舌で味わう最高の快楽だった。吸血が成功すればこれほどの至福がある。なるほど、同族が人間を殺戮し続けるわけだ。
 マントを脱いで教会を出た。久しぶりにトマトジュースでも飲んで、人間みたいにのんびり過ごしたい気分だ。
 森に入る前に教会を振り返った。
「……しかしなァ……」骸はここにいる。
 じゃあ、オレがアメリカで出会ったものは何だったのだろう。右が赤目で左が青目の吸血鬼だった。
 誰だ?!
 その問いかけに彼は答えなかった。
 代わりにとんちんかんなことを言った。
「雪で埋まる大地を見た」
 冷えた声だ。同族だからこそわかる。こいつは、躊躇うことなくエサを殺して同族も殺す。
「…………」
 マントを置いてきたことを後悔した。
 両腕を広げる。コウモリの群れが腕の中を飛び出した――オレの作り出した下級の使い魔だ。だが、右の手首を掴まれて中途半端に終わった。
「ぐっ!」
 捻り上げられて――、背負い投げのような形で、地面に放り出される。肩の上にブーツが振り下ろされた。
「あぐッ」
 雲でくすんだ空。そこに男の影が被る。
 右が赤、左が青。六道骸と、同じ姿をした吸血鬼だった。――尾行されていた。ぞっとしたのはその事実だけじゃない。
「何でオレを襲うんだ?!」
「雪で埋まる大地見た?」
 一瞬、言い淀む。明るい空の下で見ればはっきりわかる。六道骸だ。姿形も、声も顔も。六道骸と瓜二つ。その上、――吸血鬼だ。全身を覆う黒いボロきれが風でびゅうびゅう動く。
「……何が起きてる?」
 思ったよりも震えた声がでた。
 吸血鬼は捻ったままの手に視線を映す。そのまま、
「あっ――がああ!!」
 ばき、と、容赦なく追った。
 もんどりを打つオレに構うこともなく、吸血鬼が高笑いを始める。ひっ、ひっ、と、痙攣するような――確実に正気じゃないことだけがわかる、笑い方だ。
「みた? 大地」
 ひしゃげた声だ。
 ぞっとしたものが心臓から沸きあがって脳裏を満たした。殺される。感覚的な理解が先導して、まだ健在な左手を相手の顔面に突きつける!
 ――使い魔を捨て駒にすような方法は取りたくないけど――、手段を選んだら、殺される!
 顔面目掛けてコウモリの軍勢を叩きつける。吸血鬼がたたらを踏んだ。上半身を跳ね上がらせて、森に飛び込む。
「ゆ。ゆきっで埋まる大地見た……」
 その瞬間、ぶつぶつうめく声がした。反射的に振り返ってゾッとする。コウモリに群がられたままの、彼が、両眼を大きく見開いてあらぬ方向を見つめていた。
 ――教会があるところだ。
 骸。あいつが狙われてるのか?!
 愕然として足を止めて、――茂みに足を縫い付けられる。その吸血鬼は教会に驚いたんじゃない。そっちの方から、歩いてくる人影に驚いたんだ。
 牧師服の六道骸は、やはり、読めない聖書を抱えたままでボウッとした顔をしていた。それでも足取りは確かにやってくる。
「む、骸……?!」
 骸は確かに人間だ。そのはずだ、が。気になるといえば、確かに、最初に抱き上げた時は死体だと思った。
「マスター。手が」
 どうでもよさそうな声だ。言いながら、骸は吸血鬼の骸をジッと見つめていた。吸血鬼の骸も、ジッと見返す。
 吸血鬼の方がガタガタと震えだした。
「見た?! 雪で埋まった大地見た?!」
「はい」瞳の焦点が二人とも合ってない。異様極まりない光景だった。オレが吸血鬼とかいう化け物じゃなければ逃げ出している。
「む、骸?」
「雪で埋まった大地を見た」
「はい。それで、死にました。僕は二つに裂かれてぶち殺された……。僕は狂う。戻らないと思った」
「何いってんの!」
 彼等は二人だけで会話を進めていた。
 ただ、蚊帳の外からは会話が噛みあっているようにも見えない。
「大地。見た。雪」
「耐えがたい痛みでした。ですから、僕は、自分を殺すことにした。感覚と力と正気とすべてばらばらにして捨てた」
「雪で埋まった大地を見た!」
「その時が最後だった」
 ――と、ぎくりとした。
 唐突に骸がオレを振り返る。その瞳は虚ろで明後日を見ているようでもあったが――、確実に、オレに向けて喋っているとわかる。
「落ちこぼれに拾われたのが、続きになった」
「見たい!」
 ボロきれが宙を舞う。
 吸血鬼が骸に抱きついた。骸は相変わらず虚ろな目のままで聖書を開く。それから、適当な――としか思えない――単語を呟く。吸血鬼の方がじゅうじゅうと黒い湯気を噴出した。
 硬直したまま動けない。骸は聖書を閉じる。――それから、地面に落として、踏みにじった。
「――まだ僕は生きる運命にある、か」
 遠い目をする。振り返った彼は纏う空気をガラリと変化させていた。今の、一瞬で生まれ変わったかのように――、虚ろにマスターと呼びかけてきた頃の面影が、薄い。
「む、骸?」
「マスター……。ええと、思考が……急に速くなると馴れませんね……」
 ぶつぶつとした末に、合点する。
「そう、本名はツナ。綱吉くん」
「骸? 今。お前、黒い湯気を吸収して――。おまえ、吸血鬼だったのか?!」
「それを正確に記述するならば、戻った、ですね」
 ピシャリと告げて、骸が首を振る。
 眩しげに空を見た。しっかりした眼差しで、虚ろどころか生きる者の意思が込めてある。ただ、全身に漂う禍々しさは先ほどの狂った吸血鬼を連想させた。
 不意に骸は自らの牧師服に気がついた。
「またこんなものを……。嫌いなものを大事にするのは僕の悪いクセだ。死んだところで、変わりませんね」
「骸」
 いささか強く呼びかける。骸が、オレを見た。
「お前、何者だ? どういうこと? オレの知ってる骸じゃ、無いのか……」
「君が知っている僕、ですか」
 ブチ、と、牧師服の襟首を千切る。
「ツナは僕の何を知ってるって言うんですか?」
 小馬鹿にした口調だった。自らの首筋をてのひらで辿り、牙の跡に触れて目を細める。骸が距離を詰めてきた。
「!」ざ、と、森に半歩を踏み出す。
 骸のが速かった。す、と、さりげない足取りで――一瞬の間に前に割り込んでくる。近かった。はっきりした意思のある両眼――赤と青の瞳――、やはり、こんな六道骸は知らない!
「離せ! 命令だ!」
「うざったいですね。手間取らせるんですか?」
 掴まれた左手を振り回す。と、
「うぎゃああっ!!」視界が赤くなるような痛みが走った。折れている方の右手を、骸が無造作に――渾身の力で握り締めてきたのだ。
「うぐっ……うっ……!」
「再生に時間がかかるんですね。やはり、君は最低ランクの吸血鬼だ。この世界は甘くない。君のような男、すぐ、死にますよ」
「ど、どこいく……っっ」
 死に物狂いだった。骸は右手を掴んだままどんどん歩いていく。
「教会に戻ります」
 やはり、彼の両目に意思があると落ち着かなくなる。
 勝てる気がしないからだ、きっと。




>> つづく